いっつも100%でなくていいんですよ。100%主義は続きません。大切なことは、継続は力なり。80%位をずっと続ける方が力はつくんです。
受け取り如何で子供のヤル気が変わる
子供の勉強ぶりを評価するときに注意して欲しいことは、子供がその都度課題を100%全部終わらせることにこだわり続けると後々どうなるか想像できますか。
予定を全てこなせば良し、的な考え方が子供の中に定着するかも知れません。子供の好奇心は大人以上に旺盛です。勉強の途中で、つい他の関心があるものに手を出して無駄な時間を過ごした経験は誰でもあると思います。気持ちがあちこち飛んでしまう現象です。そんな子供を親は、注意力散漫、根気なしとレッテルを貼りがちです。確かにそうかも知れませんが、見方を変えれば、これって好奇心旺盛なのかもと評価できるのです。このような受け取り方も時と場合によっては使い分ける必要があるかもです。ただし、
受験など重要な大試験が目の前に迫ってるのに、相変わらず集中が途切れながら好奇心の方を優先させているようであれば事態は最悪です。早急に改善するべきです。
100%は窮屈、酸素不足
また、何が何でも100%達成主義の毎日では到底気持ちの中に余裕など生まれるはずがありません。やはり、時と場合によって子供の勉強ぶりに応じて評価を変えなければならないでしょう。私は100%よりはあえて80%主義の考えで取り組むことを提案したいと思います。
80%こなせれば上出来、残りの20%の使い方は臨機応変に考えて下さい。つまり、車のハンドル操作に用いられるあそびであって、プレイ的な遊びではありません。言い換えると、気持ちの余裕です。親のこうしたゆとりは必ず子供に伝わるものです。そして、100%達成した時に親の誉め言葉を聞けばますます勉強に励むと思われます。
いつも100%達成は当たり前主義の親の子には論外です。子供に気持ちのゆとりなどあるはずがありません。勉強が辛く単にノルマをこなすような取り組みになってしまっては本来の能力をつぶすことになります。確かに、全てパーフェクト、いつも漏れのない完全な状態でありたいと願うのは人間としての理想であり向上意欲の表れでもあります。しかし、常に力加減を配慮することなく全力投球していたら疲れがたまる一方です。そんな緊張だらけの生き方よりいい意味での「ほどほど」感を身につけて欲しいものです。
欠点があるのも長所の一つであることを納得すると自然体になれる
そして、普段の力の余裕があってこそ、ここ一番の時にこの余裕がエネルギーになって大きな力になってくるのです。子供にとって、自分の能力が他の子より劣っていることは本人が一番わかっていることです。親から、たとえそれが励ましであったとしても、「自分で考えて頑張りなさい、負けるな」とか「何をやっても愚図なんだから」などと言われると見放されたみたいで、みじめで残酷な気持ちになるでしょう。逆に、親に対してはかばってもらえるのではないかという期待や甘えの気持ちがあるものです。それを、打ち砕くような言い方をされると絶望でお先真っ暗になることでしょぅ。
わが子の能力に他より劣る点があっても。恥ずかしいことでもみっともないことなんかでもありませんよ。こんな時に大切なことはまず親が劣っているという事実を冷静に受け止めることです。
できるだけ冷静かつ客観的に
例えば、子供の運動能力のなさ、計算能力不足などを事実として認めることです。周りの視線を気にしてあいまいにしたり、ごまかそうとしたりすると、いつまでたってもみじめな気もちはぬぐい切れません。子供が劣っているという事実をしかたがないとして穏やかに受け止められない親に限って子供に辛く当たったりするのです。欠点を欠点として素直に認めてやる姿勢があれば、今後の改善策を考えられるというものです。もちろん親だけではなく子供自身にも認めさせて下さい。決して感情的にならないように。
長所と欠点は誰にもあるもの、それは当たり前であるということを教えて下さい。しかし、能力が欠けるからと言って、運動は無関心でいいとか音楽が苦手なら音楽なんか聞かなくてもいい、なんて言い方は厳禁です。下手は下手なりに努力をし全力を尽くす、そしてそこから喜びが生まれ生きがいやヤル気が生まれると伝えましょう。子供の欠点に目をつぶらずに事実を認めて下さい。それがなければ子供のいろんな力を測ることはできません。欠点を認める姿勢があって初めてわが子の生きて行く方向がわかり始めてくるのです。
「もうすぐ運動会、走るのが遅くても精一杯がんばってね。これからも、少しずづでいいから早く走れるように努力はしようね。」
親もこんな言葉の投げかけが自然にできるように少しずつ努力しましょう。