子供の屁理屈の対処の仕方は、1.クールに 2.あいづちをうちながら 3.逃げ道を作ってやる

 最初に、子供の矢継ぎ早に飛び出す屁理屈の対処の仕方は、1.クールに 2.あいづちをうちながら 3.逃げ道を作ってやる、ということが基本です。親としての感情を逆なでされがちですがグッとこらえてくれぐれも同等のレベルで言い合いににならないように心がけることが大切です。

「勉強時間が少ないのでは?」「いや、時間の長さより中身の問題だから。ちゃんとやるべきことはやってるよ。」

 特に、受験期になるとどこの家庭でも交わされる親子の会話ですが、親なら当然子供の勉強ぶりが気になることです。親は子供の一挙手一投足を監視できるわけではないですから、子供からこんな風に答えられると内心は不満でも黙るしかありません(まあ損するのはお前だからな、と腹立たしく言う親もきっといると思われますが)。

 情報過多時代、仕入れ先は

 今の子供たちは、かつての時代に比べると、とても理屈っぽくなったような気がします。それも当然のことでしょう。 

 思い出してみて下さい。昔は、家の外の情報は全て親を通して入ってきたものです。従って、当の子供たちの世界に関する情報は、学校生活や友達関係からしか入ってきませんでした。

 ところが、今では、大人と同じテレビを見て自分専用のスマホを見聞きし、親以上に様々な情報に詳しくなっています。大人と対等いやそれ以上の知識をひけらかすことも珍しくありません。

 若者や子供の文化の発展とともに、子供達の情報の内容や量は、大人には想像できないほど広がっています

 会話の中に接点見出す

 だからといって、親は知らぬ存ぜぬでは済まされません。各種の身近な情報の中に勉強や受験に関する情報もちゃんと含まれています。

 親たちはそれらの情報に圧倒されたり、自分の知識不足を嘆くこともあるでしょう。しかし、

知らないと言って背を向けては、子供の独自の世界とはますます通じなくなるのです。知らなくても理解できなくても、自分から近寄るようにいろいろな質問をするようにしたらいいのです。

 どれだけ世代は違っても、毎日顔を合わせる大事な親子です。必ず話題のどこかに接点を見出すことができるはずです。仮に、見つけられないのなら、親子の間に知らない間に溝ができてしまってる証拠なのです。悲しいことです。

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 ヘリクツは恐れから

 そして、子供の理屈に簡単に納得してはいけません。概して子供は親の心配や注意に対して、様々な理屈を返してきます。

 特に、勉強の話になると、よりはっきりとわかります。勉強をしなかった子は、なぜしなかったのか、しなくてもいいのか、いろんな理屈をつけて言い訳をします。それが重なれば重なるほど、実はその子の内心は不安になってくるのです。

 自分の言ってることに矛盾がないか親を納得させることができたかどうかとても気になるのです。それは、勉強をしなかった自分が悪いことを一番わかってるからです。

 親は、子供の理屈を聞きながら、子供のそうした内心の恐れを見抜いてやって下さい。理屈(ヘリクツ)は子供の言い訳、弁解なのですから、子供の気持ちの中にも悩みや辛さがともに存在していることも気がつくと思います。

 逃げ道を作ってやる

 頭の回転が良い子供ほど不安になればなるほど饒舌になるタイプがいます。いくら理屈を並べようと、内心の不安が弱さが解決されるわけではありません。

 親は子供のそうした心の内を見ぬくと同時に、別の方法で安心感を与えるように気遣って下さい。つまり、逃げ道を作ってやるのです。見て見ぬ振りをしてやるのも一考。勉強とは直接関係がない会話をしてあげてもいいでしょう。

 子供に、「降参だ。親は自分の気持ちをわかってる。心の中の不安を見抜いている。」と思わせればいいのです。子供の言い訳を逐一怒らずに、実行する姿をほめるように心がけましょう。

 本来、子供は素直で善悪を判断することは十分できるのですから。

 

 自分の一番の理解者は誰

 私は40数年間、主に小中学生の学習指導に携わりながら、いろんな個性あふれる子供達や彼らの子育てに関する親からの相談に接する機会が多々ありました。

 そして、人間は自分自身をどれくらい良く知っているのだろうという疑問がぬぐい切れません。自分のことは自分が一番よく知っていると言い張る人がいます。しかし、はたして実際にはいかがなものでしょうか。

 仮に健康を害すれば医者に診てもらい、心の迷いがあったりすると占い師に頼ったり、自分で判断ができなければ友人に相談したりします。自分のことを知らないだらけではありませんか。

 人間は鏡に映してしか自分の顔を見れません。背中も一人では見えません。もちろん体の中も心の中も見えないのです。

 ということは、自分のことは自分が誰よりも知っているという言い方は、他人より少しばかり知っているとか、知っているような気がするという言い方の方が的確なのかも知れません。

 たとえ自分のことであっても、やはり謙虚な態度を取ったほうがいいと思われます。

 他人は自分を知る有効な鏡

 このような心構えがあれば、他人の評価やアドバイス、叱責や苦言にも、そうかそういうところが自分にはあるのか、気がつかなかった、そう一面があったのか、と素直にうなずくことができるでしょう。

 自分を見たり知るためには、他人という名の鏡を使わなければなりません。その鏡がよく映るのかどうかは本人の素直な心次第ではないでしょうか。

 理想的な子育てとは

 わが子のことを考える時もそれと同じような気持ちで臨むことが大切です。いつまでも子供のことは親である自分が一番の理解者であるという考えはもはや通用しません。

 もしそう言えるのなら、わが子の心の動きが手に取るようにわかっていなければなりません。子供を理想通りに育てることははっきり言って夢でしかありません。

 子育てに法則なんかない

 親と子のあり得ないほどの痛ましい事件が起こるたびに、評判がいい親子なのにとか子供を信じていたのにこんなはずではなかったとかいつも同じような感想がメディアに報じられます。

 信じていたのに裏切られたとい言い方は、安心しきって油断していたと解釈するほうが的を得ているのかも知れません。わが子を理解し、信じるのは親の義務です。

 しかし、それはある決められた約束事や方法に従ってやればいいというものではないのです。

 一人ひとりの人間が、それぞれの生き方をするように、それぞれの親子は、他の親子と違って全く別物なのです。

 他人がああしてるからこうしてるからといってそれをまねればいいというそんな無責任なことではありません。逆に、そんな親の姿勢が原因となってギクシャクした親子関係に成り下がるのです。

 わが子を疑えということではありません。ただ、これで安心ということはないということです。

 子供の能力は、親と比べ物にならないほど発達するのが早いです。そして、ある能力が伸びるのと並行して伸びなくなる能力もあります。子供の心身の状態は、いつでも変化していると考えるべきです。

 子供本来の力の半分しかわからない、とか子供のことをまだよくわかってあげてないという姿勢の方がむしろいろんな判断をする時、間違いや誤解がなくなると言っても過言ではありません。

 子供を理解することは隔たりをなくすこと

 親が子供の全てを理解したいわかってやりたいと考えるのは自然の感情です。しかし、その尊い気持ちと実際にそのようにできることは大きなズレがあります。

 しかし、この隔たりがあって衝突したり分かり合えないことがあることも当然なことであり自然でもあると思います。

 子供のことはわかってますよ理解してますよ、と言い切る親は、自分の気持ちの中の不安を悟られまいと隠そうとする強がりかも知れません。

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