カーネーションの売れ残り、でも感謝は溢れるくらい伝えたい!

 毎年、母の日が過ぎるとカーネーションの売れ残りって少なくないみたい。けど、母への感謝は溢れるくらい伝えたい母の日にしたいものですね。

 さて、ここで質問です。

 Q:カーネーションの白い花の意味をちゃんと知ってたら、母の日に「おめでとう」って言うのおかしくないですか?耳にする度なんかこう不自然な違和感を感じるのは私だけでしょうか? 

「母の日」は本来、毎日家族のために一生懸命尽くしてくれる「お母さん」の「当たり前」をあらためてねぎらい感謝の気持ちを表す日。だから、私はいつも自然に「ありがとう」って伝えています。

 そして、母の日は、日頃の苦労を敬い、感謝の気持ちを込めてカーネーションを贈るのが一般的です。

 母の日の由来は何とアメリカにあった

 さて、今年も間近に控えてるこの母の日ですが、実は世界各国にあり、その由来もさまざまですが、日本の母の日はアメリカから伝わった風習のようです。

 日本やアメリカでは、ご存知の通り毎年5月の第2日曜日ですが、スペインなんかでは同じく5月の第1日曜日、またスウェーデンでは5月の最後の日曜日と国によって違いがあるようです。

 その起源については諸説あるようですが、今から100年以上前、アメリカのフィラデルフィアに住んでいたアンナジャービスという女性にあるようです。

 1907年、アンナが、大変な苦労とともに自分を懸命に育ててくれた最愛の母の死を悼み、母親が好きだった白いカーネーションを教会に飾ったのが発端とされています。

  ではなぜ5月の第2日曜が母の日となったのでしょうか。 また、カーネーションを贈るようになったのはどんな理由からなのでしょうか。

 当時、ウエストバージニアの教会で日曜学校の先生だった母親の命日に際し、メモリアルデーとして祭壇に白いカーネーションを飾ったことがアメリカの「母の日」の始まりとされ、その日が5月の第2日曜日だったのです。

 そして、次第にこの行動が国内に浸透していきました。そして、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と、1911年までにはアメリカほとんどの州で「母の日」として祝われるようになりました。

 この働きかけがアメリカ全土に広まり、1914年当時のウィルソン大統領が、アンナの母が亡くなったのが5月9日(第2日曜日)だったことから、5月の第2日曜日を「母の日」と制定し正式に国民の祝日となりました。

 また、アンナの母親が好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったことから、母が健在であれば赤いカーネーション、亡くなっていれば白いカーネーションを飾るようになり、現在のように「母の日にはカーネーションを贈る」習慣が生まれたと言われています。
 
 一人の母を想う少女の行動が、正式な国民の祝日にまで制定されるなんてすごいですよね。

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 日本では最初は3月だった母の日

 日本で最初に母の日が行われたのは、明治時代の終わりごろと言われています。このことは明治の末期から大正時代に青山学院(当時)教授のアレクサンダー女史によって紹介されたと言われています。

 それが大正時代になるとキリスト教会や日曜学校で徐々に広がっていき、昭和時代に変わってから大日本連合婦人会が結成されたのをきっかけに、皇后の誕生日の3月6日を母の日と定めたことが始まりのようです。

 この頃の日本における母の日は、今のように5月ではなかったことがわかります。

 先述の通り、31年(昭和6年)に皇后の誕生日である3月6日が母の日とされましたが、戦後になり改めて5月第2日曜日が母の日であると定められたのです。

 当時の母の日はそれほど国民には普及していませんでしたが、現在のように国民的行事となったのは、37年、当時森永製菓が母の日を提唱してからのことです。

 同社はこの年、「森永母を讃(たた)える会」を設立し、大々的な告知により母の日の普及活動を全国規模で展開しました。その結果、全国的に認知され、母の日は各地に広まって行ったのです。

 そして、昭和24年ごろにアメリカと同じ5月の第2日曜日に行われるようになり、これが現在まで定着したと言われています。

 
 以後、母の日には、母親が元気な場合は赤いカーネーションを、亡くなっている場合は白いカーネーションを胸に飾るようになり、やがてプレゼントとしてカーネーションを贈る風習へとつながっていったのです。

 最後に、「母の日」とは、母を想う大切な気持ちがきっかけ

 アンナの母であるアン・ジャービスは牧師の夫を早くに亡くし、戦争や病気で8人の子供を失いながらも残った二人の娘を女手一人で育て上げた強い母であり、社会活動家でもありました。

 その活動は病気や貧しい人のための募金活動や食品検査、公衆衛生活動。
南北戦争時には中立を宣言するとともに、南北双方の兵士を看病したり、双方の敵意をなくそうと試みたイベントに南北双方の兵士や地域の人々を招くなどし大成功を収めるなど、女性の地位がまだ低かった当時のアメリカで社会改革にも貢献しました。

 さらに敬虔なクリスチャンで日曜学校の牧師を26年間も務めていたそうです。
このような経歴を持つアン・ジャービスだからこそ、追悼式での愛娘のアンナの行為が社会的にも注目を集めたのでしょうね。

 母の日のはじまりはアンナが母を大切に想う気持ちから生まれたといっても過言ではないようですね。

 また、カーネーションの花言葉が「母の愛」、「純粋な愛」と母性愛を象徴するものだったことも影響しているのではないでしょうか。

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 来る「母の日」、これまでとは気持ちを新たに「いつも当たり前をありがとう」って伝えてはいかがでしょうか。

 

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