私の長年の教育信条は、担当する子供達をあくまで人間味溢れる人間性豊かな人間として成長させることを目指して育てることです。つまり、可能な限り自分の力で考えられる子供、自分で人生を切り開ける子供を育てることが目標です。
子供たちが学ぶ最大事は努力すること
どのような指導であれば、子供達が自主的に物事を考える習慣を身につけることができるかを常に念頭に置いて接しています。私が長い間これを心がけている理由は、子供達が身につけなければならない最大のことは、自分で考え、工夫し、努力する姿勢であると信じているからです。そして、結果として学力が向上すればいいと思います。
「一流」至上主義
しかし、現実として、私の教育信条に対して多少なりとも同調されない場合もあります。それは、とにかくキーワードは「一流」です。いい学校へ、いい会社へ、不自由のないいい暮らしをと自分の人生を保証してくれるのはいい成績であり他に信頼できるものはないと信じ切っている人も少なくありません。
学力の効果は現実的なのか
人生という長丁場で、「勉強ができる」ということが一体いつまでその効力を発揮できるのでしょうか。生きて行くという観点で考えれば、ピンチに陥った時、本当に役に立つのでしょうか。「学校の成績が良かった」ということが身を助けるのはせいぜい社会人になりたての頃までではないでしょうか。それから先の人生の方が圧倒的に長いのです。結婚、家庭、仕事、子供のことなど様々な悩みや困難が待ち受けているのです。
人生に起こる問題は人との本音の戦い
いい学校を出たから、収入が高いから、そんなことは全く関係がないことが当たり前のように起こるのが人生なのです。人と人との気持ちを戦わせながら解決しなければならないことだらけです。一筋縄ではいかない問題がたくさんあります。その困難に立ち向かって一つずつ根気強く処理していく力は、「勉強ができる」というだけでは十分ではありません。言い方を工夫すると、建前ではなく本音で素の自分を出しながら相対する必要があります。
勉強することは現代を生きる支えになる
実際問題として、現代には学歴やお金だけでは解決できない問題がたくさんあるという事実を子供に教えることが必要です。そして、勉強をがんばった結果として進学することが将来の人生において少しでも生きる支えになるように親子でしっかり話し合うことが大切ではないでしょうか。
努力することは人間として望ましく尊いことである
困難な問題に直面した時、どうすることもできないと逃げ出してしまったら人生の敗北者にもなりかねません。自分を認めてくれないといつまでも不満が続いたら周りの人に相手にしてもらえないでしょう。気持ちを切り替え別の方法で再び進み始めるからこそ尊敬されるのです。
私はこのような現実を目の当たりにするほど世の中は努力する人間を見捨てることはないと気づかされます。つまり、黙々と努力することは、人生における最も望ましい姿であり尊いことであるということが求められているのです。子供と接する時はこのような視点を心がけて下さい。
結果よしの考え方は細心の注意が必要である
一生懸命がんばっても、期待外れの結果に終わることは少なくありません。しかし、思わしくなかった結果を一方的に責めたところで何になるのでしょう。確かに反省させることは必要ですが、頭ごなしの感情的な説教は子供の新たなヤル気や自信をつぶすことがありますから言葉の投げかけなどは細心の配慮が必要です。
子供の頑張りは結果ではなくそのプロセスで判断する
受験勉強においても全く同様です。子供がどれくらい頑張ったのかそのプロセスで判断するようにして下さい。現に、何をさせても不器用な子供はいるものです。時間がかかる子もいます。しかし、そんな子が必死に自分の力で考え努力しているのなら結果が悪くても責めるべきではないと思います。また、いい結果が出たところで、それがたゆまない努力の結果ではなく、単なる偶然的なものであれば、手放しで喜ぶことでもありません。決して、結果にのみ惑わされないようにして下さい。
正しい評価の仕方は結果より取り組む態度や姿勢が重要
親である限り、最も凝視しなければならないことは、子供が努力する姿です。結果として何をしたのかということよりは、どんな態度で取り組んでいたのかという点で人間を評価するべきであると思っています。とにかく私は教える立場になって以来今日まで、子供たちが自分で考え努力する姿勢を身につけてくれることを願い続けています。自分の夢や希望を達成するためにそれぞれの目標に向かって努力することが人生という道のりの中で幸福になれる最低条件であり子供たちはすでに潜在的に備えていると信じているからです。
人は誰でも努力する姿勢こそが生きるための実力であるといえるのではないでしょうか。