[宿題は、もう終わった、友達と遊ぶから。
ついでに犬を一緒に連れて行くわ、散歩ついでに。」
要領の良さと信頼は別物
親が自分に何を言いたいのか、早々と察知し前もって処理してしまう。また、言われたことを漏れなくこなす。そんな要領がいい子供は意外と多いように感じられます。そして、こんなタイプの子供は成績もいい傾向が見られます。
実際、私の友人の大人にも、料理をさせると腕前はプロ級、何かスポーツをすると運動神経が抜群、そしてカラオケでは美声を披露するみたいな器用な人がいます。
何をさせてものろまな不器用にしか対応できない私なんかにとっては、まるでスターのようでこのような人間は別世界の生き物ではないのかと唖然とするだけです。
しかし、冷静になって考えて見ると、ここという時これらの人種を信じ切って頼りにしていいのか不安になることも事実です。
器用だからと言って、あの人に任せると安心できるという気持ちにはなりにくいことも事実です。なかなかそんな感情にはなれません。
不器用でも強い印象を与えられる
私たちは弱い生き物です。困った時、二進も三進も行かなくなった時、あるいは窮地に立たされた時などは信頼できる誰かに頼って何かいい助言を求めたりします。
そんな時私たちは、自分のそれぞれの悩みの種類に応じて都合のいい友達や知り合いの顔を思い浮かべたりします。しかし、
意外とスター的なんでも器用にこなす人には相談する気乗りがしないことがあります。何かこう、何でも屋さん的なタイプは、これは任せられるという印象が伴いにくいものです。
いわゆるオールラウンドプレーヤーですからいろんなことを巧みにこなせますが、これだけは、という目立つ強さが余り感じられないのがネックになります。
そのため、不器用であっても何かどこか光るものがあれば、器用な人間より強い印象を周囲に与えたりすることがあります。
不器用だからこそエネルギッシュ
人間は誰でも等しく生きるために崇高なエネルギーを持っています。そして、要領のいい人たちは自分に関するあらゆるものに均等に配分しようとします。
もちろん不器用であればできません。ましてや子供の場合何をかいわんやです。つい自分の好きな興味がある物にエネルギーを使って他とのバランスを保てなくなるのです。
どちらの方がエネルギッシュに見えるでしょぅか?
打ち込む姿の情熱はどちらが強く感じられるでしょぅか?
淡々と取り組む要領がいいグループでしょぅか?
ぎこちなくも一心に取り組む方でしょぅか?
私は、それらに優劣をつけるつもりはありません。どちらかが良くてどちらかの姿勢を学べばいいと断言することはできません。
むしろ、上手に情熱を配分しながら冷静に取り組む要領の良さも、得意なことに一生懸命打ち込む姿勢も持つべきであると考えています。
しかし、それらの両方を備えることは極めて困難なことです。
要領がいい≠頭がいい
そして、ここでハッキリと認識しておかないといけないことは、要領がいいから頭がいいは大きなカン違いであるということです。
それは、単に技術であって窮地に追い詰められた時、いつもと同じように自然体で切り抜けられるかということは疑問です。
しつこいようですが、私は要領がいいということをネガティブに捉えるつもりはありません。
特に、子供達の受験勉強の期間は短く限りがあります。その短い期間を器用に整理し乗り越える才能ももちろん必要です。
しかしそれでよしと考えたら余りにも短絡的でややもすると大きな失敗になりやすいのではと言いたいのです。
不器用さを認識する、そして欠点と正面から相対する姿勢づくり
現実として、受験の会場では、不安はもちろん焦りや絶望などいろんな心の苦しさと闘わなくてはなりません。そんな時こそ、器用にそれを避けるより堂々と真っ向から当たる方がその子の将来のためになるかわからないのです。
親はわが子の要領のいい部分だけを見て安心してはいけません。大事なことは、不器用な子が自分の欠点に気づきそれを何とか自力で改善したいという努力する姿勢なのです。
要領の良さがいざという大事な時に、解決方法を考えることから逃げてしまう方に使われたら残念です。
要領がいい故に、素早く重要性を頭の中で計算し優先順位を決め取捨選択をして手間を省くという考えが先行していると思います。
この行為をよく観察すると、自分の器用さを苦しい状況から何とか逃げ出すことにしか使おうとしていません。
これは、能力の無駄使いであり自身の実力を鍛えることにはならないのです。
もっと、時間がかかってもがむしゃらに取り組んで欲しいと思います。