子供に自信をつけさせる子育ては子供に自ら学ぶ姿勢をつけさせる

  以下、私の思い過ごしでありますように。

 最近(正確には一昔前くらいから)の子供たちおよびその親たちの子育て観や動向からジワジワ感じることなんですが、(う~ん、どうも何かこう)確固たる価値観が失われつつあるような気がする教育関係者は私だけではないと思います。

 はっきりとした自信が持てない、なぜ? ⇒ 

過度な情報享受

 「人生」というものをたくましく生きていく上でのしっかりとした信念が欠如しているような。親子の関係しかり教育や躾などについても明確な確信がない、みたいな。
 

 このような自信のなさがいっそう家族関係を混乱させ、子供たちの社会生活への不信感を深めているのではないでしょうか。つまり、親子に限らず現代人の自信のなさの原因の一つは、過度な情報による誤った社会観や幻想などによって生じているように思われます。

  本気本音より穏やかさ優先の割り切った親子関係?

 あえて一般的に言えば、このごろの家族はお互いの信頼や熱さというものが少なくなって来ています。本気でケンカすることなどほとんどなく、多少気にいらないことがあっても表面上はわりあい穏やかに暮らしています。本音をぶつけ合って家の中が暗いよりはましであると親も子も現代らしい割り切り方で生活しているのが現状ではないでしょうか。

  親ですら子供の一挙手一投足なんて把握できるものではない 

 ところが、一方では、放任はいけないとか親は子供にもっと干渉を強めるような意見もあります。子供が何か粗相をすると、親の無責任と非難してなぜ子供の行動を先に把握して防がなかったのかと責め立てたりします。

 しかし、私は率直に言えば、原則的には子供のしたことに逐一責任を問われることはないと思います。いくら賢い立派な親であっても子供の現実が全てわかるのではないからです。
 

 いくら親子関係といっても小さいときは別ですが、ある年齢になれば親と子は離れるのが当然なのです。繰り返すようですが、子供がある年齢になれば、親がいくら背伸びをしても子供の現実や未来が見通せるものではありません。

  都会志向の減少化、なぜ ⇒ 都会の文化の不毛化

 一人前になった子供は放っておく。子供の新しい試みや夢について親の方で寛大に見守る姿勢を持てることが賢明であると思います。そしてまた、近頃では地方の若者たちがあこがれる都会志向という試みや夢はあまり見られなくなりました。

 ひところみたいに、やみくもに都会へ出ようという女性の姿も少なくなったのではないでしょうか。こうした現実は当然のことで、実際今の都会の文化というのは、大半は切り捨ててなくなってもかまわないような文化です。

 人間の数こそ多いですが、人としての交流は少ないです。人間のふれ合いというものがありません。外見が派手で人との交際も広いように見える人でも実際は交友関係が狭く孤独感が強いケースがあります。むしろ普通の女性の方が友人関係が広かったりします。

 都会暮らし=イメージ<現実、この差を親は子にレクチャーすべき

 こういうことが都会の実際の生活です。イメージと現実との差がいかに大きいかということがよくわかります。親にとって子供にとって自分の本当の幸福とはなんだろう、どんな方法でどこを探したらいいのだろうということを親子でもう一度じっくり考えて欲しいと思います。
 

  試行錯誤や挫折は新しい道を築くための必然である

 期待するしないにかかわらずいつの時代も未来を開いてきたのは子供たち若者でしたし、今を生きる子供たちも彼らにふさわしい青春を作り上げるにちがいないと期待していますが、その青春はこれまでどの時代も経験しなかった全く新しい青春であるはずです。

 ですから、これを先走って、親が大人がこうあるべきだこうすべきだということはおかしいのではと思います。言うまでもないことですが、一人の人間が自分の人生を発見し未来へ向かって巣立って行くには、いろいろな試行錯誤や挫折を経なければなりません。

 こうした試練はその人自身が体験しなければならないことで他からの借り物や流行のまねでは本物の自分の人生とはなりません。

 子供たちが自分にふさわしい本当の人生を歩んでいくためには、まず親自らが冷静な目で彼らが生きるこの時代をよく知ることが大切なのではないでしょうか。

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