喜怒哀楽が少ない原因はヤル気と集中力の弱さとマンネリにあった

  最近の若者について、喜怒哀楽が少なくその原因は物事に対するヤル気や根気、集中力の弱さ、さらに妥協しやすいマンネリ傾向があるという見方があります。

 しかし、本来は「若さの勢い」というものは恐ろしいものがあります。たとえ、一日ムチャして徹夜しても、「何とかなるさ」でとスルーしてしまいます。それほど気にしません。次の日に、倍返しで取り返すエネルギーを持っています。

 我々大人はこうはいきません。「明日が大変だから明日のために余力を残さないと」とついつい弱気になり遊びたいのを我慢することが多いです。

 それでは最近、なぜ自分の感情表現をを上手くコントロールしながら伝えることが少なくなってきたのでしょうか。

 要領の良さは集中力にある

 受験生なのに、けっこうそれなりに自由な時間を楽しみ、しかも肝心な成績はそれなりに上がっているという子がいます。

 彼らは遊ぶ時間を生み出すために、いろんな工夫をしているのでしょう。スケジュールを変えてみたり重要度に応じて時間の配分を研究したりとその子なりの努力をしているのだと思います。

 あくまで主体は勉強であって遊びは脇役なのですからこうした子供の態度に親がいちいち目くじらを立てる必要は毛頭ありません。

 上手なズルはゲーム感覚で

 しかしながら、逆の場合は困りものです。遊びが主体となり、その時間の合間に勉強をする、こうしたズルさは、自分をごまかししかも親の目もごまかそうという姿勢でしかありません。

 一見ずるさは同じように見えるかもしれませんが、内容では天と地ほどの違いがあるといっていいでしょう。上手にズルができる子は、

自由な時間を捻出するやりくりを一種のゲームとしてとらえているのかも知れません。だから彼らは、必ず勉強の場に戻ってくることができるのです。   

  大切なことは、ずるさを頭ごなしに怒らないで、その内容を確かめることです。見極めることです。そして、子供なりのやりくりの知恵をそこに見いだせたら微笑ましくみてやればいいのです。

 「感動」は良好な子育てのビッグキーワード

 人間の善意にあふれた美しい話に、日本人は感動しなくなったんでしょうか?刺激の強いアクション映画や、血が飛び散るバイオレンス映画の方を好む人間が増えているのでしょぅか。

 現代の子供達は、何かに感動するという機会が、かつてより少なくなったような気がして仕方がありません。本もスマホもテレビもいつでも読めますし見られます。

 それなのに子供たちが感動の涙をこぼすことは以前よりは多く見かけられないようです。

 感動とは逆に、心のイライラやストレスを吹き飛ばす類のお手軽なものに興味関心が集まっています。

 喜怒哀楽は人間の基本的な資質、感動の根源

 人間が他の生物と異なる偉大な資質は、喜怒哀楽を表現することができることなのです。そこから、音楽や文学や絵画といった芸術が生まれ、それがまた見る人々に喜怒哀楽の気持ちを呼び起こしました。つまり、喜怒哀楽が文化というものの根本になるのです。                              

 ところが、現実はさにあらんや。口角泡を飛ばしながら今にも飛びかからんと議論に熱中する、あるいは友の不幸に深い同情と悲しみを覚える、仲間の成功に喜び拍手する。人間の素晴らしい行動や生き方に感動して目を潤ませる、そんな光景が少なくなった気がします。

 誰もが上手にその場をおさめ、それこそ適当に自分の感情を処理しています。まるで、喜怒哀楽をはっきりさせることが恥ずかしいと言わんばかりです。

 自分の素直な気持ちを表に出すことは、今の若者たちにとってみっともないことのようです。何も感じなくなっているのではないかと心配になります。

 人が死んでも動物が傷ついても美しい花が折れようとも、それに対して特に感じない、「それが何か?」的な無感動な若者が確実に増えていると思います。

 どんな人間にも、喜怒哀楽の気持ちは備わっているのです。それを素直に表せない人間がいたとしたら、感情がない冷血な人間ではなく、それを発散させるべき方法を身につけていないだけなのです。

 つまりは、心が固まってしまい素直になりたくてもどうしていいのかわからないのです。

 無感動人間、無表情な人間は、人生というこの場で大変なマイナスを背負ってしまいます。自分の気持ちを正確に周りの人間に伝えられないのですから、自分という人間を理解してもらえません。

 うれしさ、悔しさを発散させる方法が身についていないため、ピンチの時も頭の中を切り替えることができません。喜びも薄いので、もう一度チャレンジを、という気持ちの高まりも弱いものです。

 喜怒哀楽はポジティブな発奮材料

 特に、「受験期」の子供に喜怒哀楽はつきものです。成績が上がったと喜び、下がったと言っては悔しがり、自分の力のなさに怒りを覚えたりします。

 それらをはっきり表現することができる子供はそれを発奮材料として頑張ろうとします。うれしいから頑張ろう、悔しいから次は取り戻そう、と自分で自分の気持ちを高めて行くのです。

 一見すると、落ち着きのない子に見えるかも知れません。しかし、こうした子供の方が、はるかに心の動きは充実しているのです。そうして、自分の気持ちを高めて行けるのです。

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