「ああだこうだ」って言いたいけど言えない性格って、単におとなしいし気が弱いからと見た目の印象だけで判断したって改善できません。もっとメンタル的に突き詰めていくと自信がないんですよ。
だから、何でもいんですけど、自分の好きなことや興味があること得意なことをもっと極めて程度はありますがとにかく自信をつけることが大切です。それはもちろん勉強に限ったことではありません。
しかし、親にとって(というよりは、親のエゴそのものなんですが)、子供が机に向かって勉強に集中している姿ほど安心できるものはありません。中には、知らず知らずのうちに思わずニンマリ口元に笑みがこぼれたりする親もいるようです。
孤独に耐える。それも実力のひとつ
反抗期真っ只中の中学生や高校生。小学生は、まだ一人っきりで部屋にこもって勉強することはつらいようですが。
しかし、このことも子供がどれだけの時間一人でいられるのかも子供の実力を測る一つの物差しになると言えるのではないでしょぅか。
例えどんなにさみしがりであっても怖がりであっても勉強は一人でやるべきものなのです。確かに、仲間と手を取り合って教えあいながらやる勉強もあると思いますが、最後はやっぱり一人なのです。孤独の戦いなのです。
頭の中身は他と共有することはできませんし、どんな人間でも何かを考える時は一人のはずです。大勢の人間が周りにいても人はそれぞれ一人ずつ自分なりに考えるしかないのです。
振り絞った知恵を出し合い、みんなで共同で何かを進めることはできるでしょう。しかし、それ以前の考える作業は、一人一人の頭の中でしか行われないものではないでしょぅか。私は日頃からとにかく
一人で考えられる能力を重視したいと思っています。机に向かい一人で集中しながら勉強に打ち込む時間を大事なものであると強調したいのです。
最低何時間が必要、とは言いません。少なくてもかまいませんが、問題はそうした一人で集中して取り組む習慣が身についているかどうかということであって、時間が長い短いではないからです。
中には一人でいるのを嫌がり家族のみんなが集まっているリビングなどに来てテーブルの上に教科書やノートを広げる子供もいます。
それでもいいのですが、要は集中できる度合いなのです。最初から集中できる子供にとっては、テレビの音が大きくても家族の話し声がうるさくても気にならないと思いますが。
一人で何かに集中できるのか、それをどれくらい続けられるのか、親はそのことをじっくり観察して下さい。
集中力は子供の一人遊びで身につく
一人で集中するという能力は、いったいどうやって鍛えれば身につくのでしょうか。私は、それは幼い時の子供遊びに原点があるような気がします。
たまに近所の公園で遊んでいる子供たちを眺めていると、特に砂場で一生懸命遊んでいる子供たちがいます。中には小学生も見かけられます。
毎日の生活の一部として、このような一人遊びに熱中した時間が長い子供は、やがて成長するとともに、対象を遊びから勉強へ変えることができると思います。
一人遊びができない子供に比べれば将来的にもいい傾向でしょう。いい面はそのまま伸ばし、少しずつ友達遊びも楽しめるように仕向けてやればいいと思います。
親の方が、友達との協調性を気にする余り子供が一人で集中しながら熱中する時間を取り上げてはいけません。子供にとっては必要な時間なのですから。
親は子供をかまい過ぎないように、あれやこれやと指図しすぎないように注意して下さい。自分だけでじっくり考えその結論に基づいて一人で行動することを教えられるのは親だけなのですから。
「一家団欒」の中に子供の大きな成長のきっかけがある
日本の家庭から、「一家団欒」という言葉が少しずつ消えて行くような気がするのは私だけでしょうか。
通勤距離が長くなるにつれ父親と家族が一緒にいる時間は減り、さらに女性の社会進出が盛んになるにつれて、母親も家庭にいないという時間が多くなっています。
毎日一家そろって夕食を食べる家庭は本当に少ないと言っていいでしょう。従って、食卓での親子の会話が減りつつあるのも当然の成り行きなのでしょう。
こうした現実は、子供にとっても親にとっても不幸なことであると考えています。もっと通勤距離を縮められないのか、あるいは母親だけでも専業主婦として家にいれないものかなど、私なりに勝手に想像しますが解決策は出てこないのが正直なところです。
日本の全ての人たちが、家庭という素朴な安らぎの場所としての大切さに気づくまでこうした問題は解決しないのではないかと悲観的になったりします。
子供の明るさは親の雰囲気づくりで決まる
しかしながら、ごくわずかであっても、一家団らんの機会が限られているのなら、その機会を精一杯有効に使わなければなりません。
だから、親はまず子供に自分から大いに話をさせるような雰囲気づくりをして下さい。どんな話題でもいいのです。目的は子供に話をさせることなのですから。
確かに、親子の会話が少ない家庭であれば、子供もそれほど話したがらないものです。親もしつこく聞くのも面倒とばかりつい口数が減ってしまいます。
子供は好奇心の固まりです。日々面白いことを見つけようと生きていると言っても過言ではありません。そんな子供に、強烈に印象に残ったこと悩んだこと喜んだこと、などがないはずはありません。
大なり小なり必ず何かに出会って体験しているはずです。そして、何かを感じているはずです。ただそれを、頭の中で整理しながら上手に伝えられないのです。
しかし長年の私の指導経験上、それができる子とできない子の間には、おおきな実力の差を認めてしまいます。
親に興奮気味に何かを話す子は、その子の感受性が評価できます。会話にまとめられるといったこともほめていいでしょう。
とりわけ何よりも、誰かに伝えたい訴えたいというエネルギーを持っていることがとても素晴らしいと思います。
親にあるいは大人に目上の人に、きちんと話ができることは勉強のあらゆる教科に関する能力につながるのです。子供同士の会話では、鍛えられたり訓練されることはないのですから。
Yes・ Noは自分の意志の再確認
いじめにあいやすい子供は、自分の意見をはっきり言えない子に多い、ということを聞いたことがあります。こうしたタイプは、学校でいじめにあってもイヤということが言えず、家に帰っても悔しい気持ちを発散できないらしいのです。
自分の正直な気持ちを、言葉や態度に表せないのです。だから、気持ちの中へ中へとこもっていき、親が気がついた時には、取り返しがつかないほど落ち込んでしまっているのだそうです。
そんな深刻な話を聞くと、自分の考えや気持ちを普段から人の前で言えることがどれだけ大切なことであるかよくわかります。親は、子供との会話をできるだけ多く持って下さい。そして、
子供がはっきりと自分の思いや気持ちを表現できる人間かどうかを判断して下さい。そのために、毎日の食卓がいろんな話が飛び交うにぎやかな、それはうれしいい癒しのひと時と言っていいと思います。