子供に忍耐力をつけさせる最も自然発生的な方法は?えぇえぇえぇえ!
実は、とても身近なところにあるんですが、あまりにも日常過ぎて逐一意識することがないので気が付かないままなのです。
「この頃の子供たちの体力ってだいぶ弱くなってきたなあ。朝礼なんか15分も過ぎると多いときなんか7、8人倒れるねん。朝から保健室はいっぱい、廊下のソファーまでベッド代わりや。自分らの時代はここまでなかったのになあ。」
子供たちの体調に現れる重大な変化とは
小学校の教師をしている友人の実にしみじみとした口調。それもそうだと素直にうなずけるのは、30年以上も子供たちと密着してきているのだから最近の子供たちの体に現れつつある重大な変化をかなり敏感に受け止めることができるのだと思います。
今一度再認識、健全なる精神は健全なる肉体に宿る
ほぼ毎日子供の誰かが保健室のベッドに寝ている光景なんて信じがたいことである。その現代っ子は、たしかに身長だけはよく伸びて足も長くスタイルも良くなったが、体力は確かに衰えているのではないでしょうか。
さらに、体力よりも弱体化しているのは内面の精神力であると断言できます。毎日の社会面のニュースにおいても、取るに足らないような理由で子供たちが自殺するケースが増えつつあります。
「そんなことぐらいで大事な命を粗末にするな」とか「もっと強くなって立ち向かえ」「死ぬ勇気があるんだったらまだいろんなことができる」って声掛けをしてあげたいものです。
子供の心身の弱体化は家庭環境にある
なぜこれほどまでに心身ともに弱弱しくなってしまったのでしょうか。その根本的な原因を突き詰めていくと、いくつかの社会的な問題が考えられるのですが、その中で最も顕著なものは、子供の育つ家庭環境がこれまでと比べて大きく変化したことが大きいのではと思います。
物が溢れる便利さは人間の機能を退化させる
物本位のおかげでどの家も電気製品づくめになってしまいました。そのこと自体は決して悪いことではありませんが、不必要なほど過度になれば、当然のことながら人間の機能は退化します。
人間の手と足と頭とどの部分を取ってみても言えることですが、使い過ぎても痛めば使わな過ぎても痛みます。要は、適度に使うことが良いのですがその基準がなくなってしまいました。
例えば、夏はクーラーが良く効いて窓を開けて新しい空気を入れることさえためらいがちな家もあれば、冬はセントラルヒーティングから床暖房までついた家もあります。
親心 甘さやさしさ 勘違い
しかし、夏に汗をかかない子供が秋から冬にかけてどれくらい抵抗力が落ちるかは世の中の常識というものではないでしょうか。その常識が意外に通用しないのは、育てる側の親心に甘さとやさしさとを混同している親も少なくないと思います。その結果、苦労や苦難に耐える忍耐力が欠ける子どもが育ってしまいます。
過・保護の深い意味を知っていますか?
時には、思い切って突き放すこともやさしさのうちに入りますが、じっと両手に抱きしめていることをやさしさと混同すればとんでもない過保護になってしまいます。
文字通り、過保護とは、保護の過分なことですが、過という文字は、過ち(あやまち)とも読みますから、保護のあやまちと考える方が正しいのではないでしょうか。
学問は地道という道を努力という杖を突きながら進むもの
確かに、「学問に王道なし」です。現在のように高度に文明が進歩してくると、とかく能率や省エネを優先しがちになります。このような風潮につかっていると安楽思考、つまり楽して成績を上げたいと考える人も少なくないと思いますが、およそ学問に関してはそのような近道は断じてないと言っても過言ではありません。
学問は、センス2割努力8割だと思います。センスの良い悪いは影響しても結局は自分の努力で克服できるものである。真剣に努力しないで自分はできないとあきらめている子供は意外と多いです。
mmm?ムダムリムラのない合理的な努力の仕方
努力は大切ですが、その努力も合理性に基礎づけられたものであることが望ましいのです。1日は24時間しかありません。限られた時間の中で勉強、読書、遊びといろいろとしたければそれなりの合理性が求められます。
一度習ったことを二度も三度もやらなければならないとすれば、学ぶ側は大きな時間のロスになります。一度習ったことが自分のノートのどこに書かれているのか全くわからないようでは復習のやり様がありません。
学力は向上することより維持するための工夫が大切
大切なことは、毎日のように入ってくるいろんな情報や知識を要領よく処理することです。プリントやテスト類は必ず学年ごとに、特にノートは目的別(授業、宿題、自主勉強など)に用意する、これらの工夫が学力の維持に大変効果的です。