子供部屋の掃除をいつまでも親がすることは過保護の極み!

 子供部屋という子供の「お城」、まあたいがい雑然としているものです。そしてこんな子供部屋の掃除をいつまで親にさせるのか、もっときれいに片づけて整理整頓するように注意しがちですが、当の本人にとれば散らかっているほうが案外落ち着くのかも知れません。

 子供部屋は子供の心の現れ

 一方で、子供に怒られない程度に親が片づけたりすると喜んで満足しながら机の前に座ったりすることもあります。やっぱり、自分の部屋がきれいであると気持ち良いのでしょう。

 しかし、これもよく考えれば、整理整頓することも成長の過程の必要な能力なのです。仕事の順序を考える、あるいは必要不必要なものを区別する、多くのものを整然と並べ替えるといった能力は、社会に出た時に役立ってくるものですが、もちろん子供たちの勉強の場でもとても大切なことです。

 物事の整理をする生活習慣を早いうちから身につけることが大切です。

 女子 > 男子・・・?

 子供部屋を観察する時は最低限のルールは必ず守ってから行って下さい。くれぐれもここもあそこもと家探し的な行為は禁物です。そして、見た目のきれいさだけで判断満足しないようにしましょう。

 特に、部屋全体は男子より女子の方がきちんと整理しがちですが、きれいだからと言って、成績も女子の方が良いということにはなりません。むしろ、

外面的見た目のきれいさと成績とは必ずしも比例はしないのですが、概して成績の悪い子の部屋は散らかっていることが多いという事実は否めません。

 そして、例え他人には散らかってるように見えても、本人にはそれが一番落ち着くし便利な状態であるという例も少なくはありません。

 大人の有名な作家の書斎の中には、山ほど本や資料を積み上げ、足の踏み場もないにも拘わらず、いざ必要なものを取り出す場合は、さっと目的の物を見つけだすことがあります。

 こういう人は、きわめて特別な部類に属する人であり、本来頭の中の整理能力が秀でているのでしょう。

 雑然さの中の確信

 そう考えれば、外面的な清潔感や整理の仕方だけではその人の整理能力はわからないと言えそうです。それでは、どうすればいいのでしょう。

 例えば、子供が探しているものをさっと取り出せれば置いた場所をちゃんと覚えていることがわかります。たまに、子供が忘れてしまって探しにくそうなものを出させるのもいいと思います。

 このようなことをしながら確認したいことは、子供にとって大切なもの重要なものとそうではないものがきちんと区別されているかということなのです。

 そうした区別が日頃からきちんとされていれば、大切なものはいつも手が届く場所に置くようにしているのであれば、それは整理能力がすぐれていることの証明と考えていいのではないでしょぅか。

 親は、ただ単に、きれいなのか汚いのか、清潔か不潔かといった表面的なきれいさを求めるあまり、このような大切なことを見失っている場合もあるのです。

 ほめられたい ほめてほしい ほめてくれ~

 子供は自分の部屋の片づけ一つをとっても完ぺきではありませんが親に何か褒められたい欲求は絶えることはないのです。

 どんな子供でも、整理整頓以外にも何かいいことをして褒められることはないかと思っているものです。小学生なら、いや中には高校生になっても、テストでいい点数を取れば意気揚々と報告するでしょう。

 そして、褒められると満面笑顔気分高揚になります。これは大人もしかりです。年老いた親に孝行したことを感謝され褒められればうれしいものです。人間が生まれつき持っている本能ではないでしょぅか。

 「子供ってだれでもいい子になりたいんだよ。頭をなでてもらいたいんだよね。成績が悪い時は、自分が悪い子になってるんだと本人が一番よくわかってるんだ。

 親に叱られるのもこわいんだろうけど、親を悲しませることはもっとつらいし嫌なんだろうと思う」。

 これは私がこの世界に入ってすぐくらいに、ベテランの先輩講師にアドバイスされたことです。その時、こんな子供の素直な部分をうまく見抜いて理解してあげなければと誓ったものです。

 子供がテストの結果が悪くて苦しい立場に立たされた時、それにどう対処するのかをじっくり眺めていれば子供の本来の力を判断できるのではないのかということです。

 テストの成績が悪い時に平気で親に見せるような子供はいません。ビクビクしながら渡したり部屋のどこかにわからないように隠したがるものです。だけどそれはごく自然な振る舞いです。

 悪い点数の場合、親は怒ったり不安になったりしがちですが、子供が隠す時の気持ちを推察してあげることが大切なのではないのでしょうか。

 最も、普段からあまりにもガミガミと怒られてばかりいる子は、それが嫌さに隠すでしょう。これは、どちらかというと消極的な逃げの行為です。

 中には、親の小言より自分自身の悔しさ腹立たしさに見せることを拒む子もいます。これは、積極的な立ち向かう隠し方です。外見の行動は同じですが、それらの子供のたちの内面的な違いは、天地ほどの差があると言えると思います。

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