日々子供達と接する中で改めて納得したり腑に落ちることも少なくありません。例えば、言葉は嘘をつく?気持ちとは裏腹にとか言われることもその一つです。
本音と建て前は考えるところと出所は異なる
気持ちの中で本当に思っていること(もちろん本音のことです)と異なること(建前であったりすることが多いのですが)を発することは、その出所が一つ所ではないからでしょうか。
私自身も現在も悔やまれる教育者としてあるまじき苦い経験があります。学習意欲に欠ける子供に、「成績なんか伸びない!」と感情的に言い放ったことがあるのですが、もちろん本心ではそんなことを思っているはずはなく頑張って欲しい旨の嘘なのです。しかし、言われた子供は相当なショックだったことでしょう。すぐさまその場で謝りましたが時既に遅し、火に油を注がんばかりに大粒の涙を流しながら泣いていた顔が忘れられません。きっと悔しくて悲しくて突き放されたみたいで辛かっただろうと思います。今も心が痛みます。
感情的な言葉は謝って打ち消して撤回するのではなくその本心をフォローする
私はこの時子供と接する際のとても重要なヒントを学びました。つまり、思い余って発したインパクトの強い言葉を後々謝りながらそんなつもりではなかったと打消し撤回するやり方では、むしろ相手の傷ついた気持ちをさらに深くします。大切なことは、なぜそれほどまでに感情的になってしまったかという本心を必ず説明するフォローが欠かせないのです。これはどんな時も積極的に応用して欲しいと思います。
メリットデメリットをセットにした話し方が重要である
このように普段何気なく使っている言葉というものは、ちょっとした扱い方で伝わり方が全く違います。良く言われることですが、褒める時注意する時、予めそれぞれメリットデメリットを一つのセットにした話し方を心がけることが重要ではないでしょうか。怒りっぱなしではなくまた褒めただけで終わるのではなく、怒ったら励ましておく褒めたら少しばかり戒めておくなど必ず後の方に重点を置いて伝えると言葉に勢いがついてくるような気がします。そして、言われる方も頑張る意欲が湧いてきます。
言葉、挨拶は親近感を持たせる秘訣
一般的に、子供だけではなく人を伸ばすのが上手い、また人を使うのが上手いという秘訣はこのようなことにも存在すると思います。言葉だけではありません。挨拶も然りです。人と人との親近感を持てる持てないという微妙な距離感もこちら側の持って行き方でかなり変わるものです。
普段の自然な振る舞いが親近感を生む
私自信も例外ではなくむしろ当たり前のように、親との距離を可能な限り縮めようと努力をしますがこれは懇談などの場数が多いことも影響したりします。失礼のない程度に笑顔で気さくに話しかければ親との距離も急速に縮まりお互いの信頼や親しみが湧いてきます。
良い親子関係を築く自然な方法はさりげないしぐさや心がけである
子育てにおいてもこうした日常のさりげないしぐさや心がけが良好な親子関係を築く最も効果的で自然なやり方である気がします。しかしながら、悲しいかな現代の世の中はさにあらず。あちこちで意見や考えの対立が避けられないようです。もちろんいろんな考え方があって良しの世界ですからそれは自由の範囲内ですが、結局は意見の一致を見ることなく対立したまま単なる力関係でどちらかが選択され決定されるのが通常です。
「どちらか」ではなく「どちらも」という選択
特に、親と子供の希望や夢が異なる場合、親は自分の経験を元に親なりの考えを強要し勉強中心の選択を迫りがちである。私は、なぜ勉強とその他のことについて二者択一を前提とした結論に導きたがるのかとても疑問です。むしろ子供に対してどちらも頑張らせる両立させるように仕向けてやることが大切なのではないでしょうか。
時間は自ら効率アップの工夫すれば作れるものである
確かに一つのことに専念するより両立していくためには時間がかかりますが、それは最初から想定内ですから問題はないと思います。子供は必ず両立するために何かしらの工夫をしながら時間を作り出そうとするものです。勉強のやり方などを効率アップさせるために量より質を心がけ中身の濃い取り組み方により、他の取り留めのない方法に終始している人が知り得ないような高いレベルにステージアップできると思います。
両方をがんばらせることも良好な親子関係づくりの一環
単なる力関係任せでどちらか一つを選ばせる選択ではなくて、一見矛盾するようなことでも両立できることは多いと思われます。確かに一方にばかり努力すると他の方が時間不足などおろそかになりやすく両立は成立しないだろうと考えられますが、少なくとも日々良好な子育てができるためにも安易な二者択一制ではなく、可能な限り両方を達成できるような親子共にステップアップを目指したいものです。