一人でいることを好む子には、友達がいることの大切さを教えてやって下さい。
集団(安全)vs ひとり(毅然)
友達がたくさんいるからいじめられないと安心する親もいるようです。このような考えの背景には、わが子の力を信じていない親の不安さがうかがえます。
子供を大勢の中に紛れ込ませ目立たないようにさせていれば安心というような親として何の信念もないような風潮に逃げ込んでいるように感じられます。
本当に大切なことは、集団の中の安全よりも、一人でも毅然としていられる強い態度ではないでしょうか。
安全な場所、失敗しない環境を求め続ける限り、本当の力いわゆる実力はいつまでたっても発揮できません。
右へ倣え式の子育ての大きな欠陥
現在ではごく普通の現象になりきった塾通い、これにも同じようなことが見られます。学校以外の学習塾はもちろん、各種の数多い習い事、これらを一度も体験していない子供は皆無に等しいくらいではないでしょうか。
これは日本人の教育熱心ぶりとも受け取られがちですが、実は通う動機のほとんどは、他人が行かせているから、友達が行くからという右へ倣え式の親や子供の「不安感」の表れであると考えます。私もこのような傾向は否定するものではありません。
昔のように自然が豊かな中で遊びまわる子供の姿は理想であると思いますが、今そんな姿を求めるのは環境や時代的に不可能に近いでしょう。特に、
学習塾に対して未だに、不要だ子供がかわいそうだ、と否定的な見方をする大人もいます。しかし、問題は、その子自身の成長にとっての善し悪しではないでしょぅか。
塾は全部悪である、ということではなくて、その子にとっていい塾と悪い塾があるということです。塾通いを全面的に否定するのではなくて、通わせているから安心ということでもなく、あくまでも子供サイドで考えてやるべきではないでしょうか。
習い事はあくまで子供サイドで決定する
もちろん、子供から自主的に言われたからと反論する親もいます。しかし、日頃から親が口にする塾という言葉に対して、親が喜ぶんだったら、安心するのだったらという動機で塾へ通うことを決めた子供も大変多いです。
本当に子供の意志なのか親はもう一度確認する必要があるでしょう。私は子供が幼い場合は、塾に行かせること自体は親が一方的に決めてもかまわないのではと考えています。
しかし、大切なことは塾通いが始まってからのことなのです。塾へ行くことがたまらなく辛く思う子がいます。親の命令だからという気持ちがいつまでも抜けきらないからです。
いくら親が子供のためだと言っても、子供にはそれがわからないのです。むしろ、親のためでしかないのです。その反対に、嫌がっていた塾通いがしだいに楽しくなり自分から機嫌よく行くようになる子もいます。
一体どうしてこのような差が生じるのでしょうか。
考え方の違いで自立心の程度がわかる
ここで私は、これは子供の自立心がポイントであると感じます。前者の子供のように、塾通いが辛いのは、実際の塾の勉強の程度が合わなかったり、親のために行ってる感が抜けないせいもあるかもしれません。このような考えを持ち続ける限りこれからも辛く苦しい気持ちは変わらないでしょう。
一方、楽しかったり勉強がわかりやすかったりしてくる子は、通いながらいつの間にか励みになり自分のためになるものに変わったのです。
親から押し付けられた不本意なものでも、自然と納得して自分のものにしてしまう子供の典型的な例です。逆に、押し付けられたと言う意識をだらだらと引きずり、その圧迫感から逃れられないタイプの子もいます。
将来、どちらのタイプが実力が伸びるかは明白です。
結論は慎重に、タイムリーに
子供が短期間で辞めたいと言っても、すぐに結論を出さないことが大切です。もう少し通わせながら気持ちの変化などの様子を観察して下さい。
子供の態度に何かしらの積極性が出始めるとその子の気持ちが前向きに変化し自身のために通っているという意識に目覚めたということです。
もし、いつまでも変わりようがなければ別な方法を考えてやればいいのです。親の指図に抵抗することもなく黙々と通っているからといって決して安心してはなりません。
その子の気持ちの中に、親に言われたからという意識がある限りは、塾へ通うことはやはりマイナスのままではないでしょうか。