「それって理想だよ、現実は全然違うよ」、時には上から目線でまたある時は親身になって指摘された経験がある人は私だけではないはずです。
この理想と現実の違いは一体どんな時に起こるのでしょうか。特に、子育てにおいてはそれが結果として顕著に表れるようですが・・・。
1.よく忘れ物をする生徒、めったにしない生徒
頻繁に忘れ物をする生徒から見れば、忘れ物なんかしない、な~んて信じられないでしょうし、忘れ物をしない子供にとっては、なぜ忘れ物をするのかわからないのではないでしょぅか。
2.他力本願は厄介者
忘れやすいことは、持って生まれた先天的な性格によるものではありません。よく忘れ物をする子供って、自分自身で気をつけないからです。
言い換えると、忘れ物をしないように忠告をしてくれる頼りになる人がいるから自身の注意力が不足するのです。
3.忘れ物予防装置
「体操服は持った?教科書は?ハンカチは?ティッシュは?」、と常々言ってくれる「忘れ物予防装置」的な存在がそこにあるからです。これではいつまでも自ら注意しようとするはずがありません。
自分の周りに気を使ってくれる人がいることを子供が認めてしまうと、何を持っていくかを自分で覚えるつもりなどあるはずがありません。だから、お母さんが忘れ物を注意することを忘れるようなことがあれば、子どもはさらにすっかり忘れてしまうのです。
子供が忘れ物をしたというより、お母さんが注意をするのを忘れたようなまるで本末転倒に陥ってしまいます。
4.過保護は親の自己満足?!
忘れ物はないか、と繰り返し確かめてくれるお母さんに任せているという意識がある限り、忘れ物がなくなることはないと思います。子供に対して、先生から怒られないように、他の生徒の前で恥をかかないように、と子供を思う気持ちがそうさせているのでしょぅから。
いずれにしろ、大切なことは、
子供が忘れ物をしないことですからその一策として一度放ってみることを勧めます。そして、子供にあえて失敗をさせることも必要です。
つまり、忘れ物をするとどういうことになるのかということを身をもって体験させることが大切なのです。そしてさらにここで一番重要なことは、同じ失敗を繰り返さないことを子供が自覚し、自らそれを避ける努力をすることなのです。
5.大人になったら~をしたい
子供というものは、いつも夢を抱いています。それは、子供たちが会話の中に「大人になったら~をしたい」という言い方が頻繁に出てくることからもうかがえるでしょう。
子供たちの頭の中は夢と理想だらけです。そのために、しばしば理想と現実との間の大きなギャップを埋められず苦労することも多いのです。
6.立派さも身勝手な代物
その例として、子供たちに何かの計画表を作らせるとよくわかります。特に、小学生の間は、起きてから寝るまでそれこそ数分刻みで綿密な計画を立てる子供がいます。特に、長い休みになると、朝の勉強→食事→自由研究→遊び→テレビ・・・。
家の習慣、親の都合などは一切考慮されていませんから。ただ自分中心の生活行動計画表となってしまいます。ところが、それを実行できるのはわずか一日でしょう。実際は、数分刻みの行動は不可能であることがわかりますし、自分自身の身勝手な計画表どおりには家族が動いてくれないことにも気が付きます。
そしてこのようにして、子供の子供による自分のための立派な身勝手な(?)計画はたちまち崩れてしまうのです。
7.想像は夢づくりゲーム
子供にとっては計画を立てることは一種のゲーム、と言っていいでしょう。「あれをしよう、これをやりたい」と想像を積み重ねるうちに、いつしか自分の願望が頭の中をあれこれと巡り始めます。想像の世界が出来上がるのです。子供たちにとって、これはたいへん心地よい遊びなのです。
ところが、それを現実に移そうとするとたちまち夢は崩れてしまいます。子供たちは、こうして理想と現実の間には大きなギャップがあることを知り、やがてその差を少しずつ縮めながら大人に成長して行くのです。
8.理想vs現実
特に、受験生ともなると時間は有限です。しかも、合格のチャンスは一度しかありません。そんな時、あまりにも理想的な勉強の計画は挫折を招きやすいものです。
一時間単位で細かくきちんと線を引きながら上手に色分けしてたっぷりと時間をかけて作成されたその見事な計画表はあたかも一種の作品のようだったりします。
計画をたてることにばかりこだわり夢中になりすぎて、現実をすっかり忘れてしまったのではないかという危惧を抱きます。
もちろんその立派な計画表どおりに勉強をこなすことができるなら危惧も無用になりますが。実際にはそのような例はほとんど見かけられません。
[計画表]づくりが上手であることは、それを実行する力があるという[証明]にはなりません。
およそ、「理想主義者」という者は、現実に直面するともろさを見せてしまいがちです。