さて、今回は私の実に様々な過去の受験指導の中から受験の実際に関してお伝えします。最初に、これまで多くの親に主張してきた受験生を持つ親の心がまえとして、子供が受験に合格できた場合とできなかった場合のどちらも想定した言葉の投げかけを準備しておくということです。くれぐれも両方の場合もです。つまり、結果の良し悪しに一喜一憂するだけではなく、合格不合格いずれの場合も親は我が子に対してどのようにふるまうべきかを予め知っておく必要があるからです。
失敗に対する対処の仕方を備えておく
実際の受験では入試制度の仕組みにより募集定員が決められている以上、必ずいくらかの不合格者が出ます。決してわが子は大丈夫なんて侮るものではありません。なぜなら毎年、誰にも予期できない番狂わせが発生するのが受験の怖さの常でもありますが、わが子にもその可能性は無きにしも非ずなのです。そして、今後の人生においても幾度となく失敗の経験をすることでしょう。そんな時に備えて親として子供の失敗に対処する方法を知っておくべきことが肝要です。
失敗によりコースは変わっても将来的なゴールは変わらない
仮に、不合格だったら運がどうこうとか体調がすぐれなかったからとか言い訳がましい慰めなどは本人には無用、何の効き目もありません。そんな上部だけの言い方ではなく、まず子供に不合格という結果を冷静かつ客観的に受け止めるように言って下さい。そして、これからも生きていく中でいろいろな結果を出さなければならないが、今回の受験の結果はその一つに過ぎないということ、さらに失敗によって予定と違うコースをたどることになるが将来的な目的、ゴールは同じであり達成することは可能であることも併せて伝えて下さい。
子供と同感覚にならない、活路を見出すのは子供自身のがんばり次第
不合格という失敗によりこれからのゴールまでのプロセスそのものが、遠回りになるのか迷い道になるのか近道になるのかは、子供の頑張り次第で決まるということは親も認識しておくべきことです。子供にとってたとえ人生初の大きな試練であっても、それを親も子供と同じような感覚のレベルで捉えてはいけないと思います。むしろ、親は人生の大先輩です。これはまだまだ小さい試練にすぎないからいつまでも落ち込んでる場合ではないと納得させるべきです。
同情するより気持ちを切り替え新たな意欲を持たせる
人生の先輩として、この程度の言葉の投げかけが果たしてどれくらい子供の慰めになるのだろうと疑問に思う人もいることでしょう。確かに意気消沈している子供にとれば、軽々しい言葉の慰めなど物足りなく功を成さないかも知れませんが、こんな場面で大切なことは、親のハッキリとした考えや姿勢を示すことです。子供といつまでも感傷にふけっている余裕などあるはずがありません。取りも直さず気持ちの切り替えと新たな意欲を持たせる必要があります。子供が、今までの自分を振り返りあらためて自信を取り戻せるように仕向けることが先決です。
傷心の時は芯のある言葉が安心できる
子供にとって初めての経験とは言っても受験というものは大きな試練です。このような試練の時こそ、人生とは何か、生きることはどういうことなのかなどをじっくり真摯に考えるのにふさわしい機会ではないでしょうか。表面だけの慰めや優しさを装った同情的な態度よりも親自身の人生観を表明して欲しいのです。人は誰でも深く傷つき癒やされない時は、効果的で安心感に浸れるのはやはり気持ちのこもった芯のある言葉ではないでしょうか。
実感できない分だけ子供目線で接する
しかし、中には、一回や二回の失敗ぐらいでそんなに甘えさせてはいけない、むしろ甘えを助長し成長の妨げになると言い放つ人もいます。しかしながら、そのように言えるのは多くのいろんな人生経験に裏打ちされた大人目線からであり、子供達には失敗したことをまだ実感としてとらえることは到底できるものではありません。だからこそ、子供目線に立って子供の傷心した気持ちをわかりやすく包んでやるべきなのです。
そして、めでたく合格したらもちろん、それまでの本人のがんばり続けた努力をねぎらうような励ましの言葉を選んで伝えて下さい。くれぐれも、わが子は偉いんだ、これで人生のいいスタートがきれるなどと慢心に浸るのは気が早過ぎることを肝に銘じて下さい。「親」という漢字は、木の上に立って見ると書きます。絶えず我が子の将来を見据えながら、その時々の状況に応じた的確なアドバイスを与えられるよう身構えておくことも人生の先輩としての親の務めでもあると思います。