親子は家庭教育の先生と生徒であると思った出来事を今だから話します

 誰もがすすめるみんながやってる子育ての効果的方法、または必ず成功するとっておきの教育の仕方、こんなものなどあるはずがありません。およそ教育たるもの、万人一人一人異なる個性がある限りそのやり方は共通するものではないのです。

 子育ての仕方に唯一無二なるものはない

 私は今までの現場第一主義の実践教育の積みかさねから得た私なりの価値観に基づく指導を行ってきました。各家庭においても子育てに対する考え方や躾の仕方などは一様ではなく、絶対これが正しい方法であると断言することはできないはずです。客観的に見てその人その場所にふさわしい方法で行われているのではないでしょうか。

 感情の出所がわからず混乱しやすい

 ただし、多くの親や子供たちと話し合ったり懇談する時いつも思うことがあります。特に注意したり怒ったり他よりは感情的になりやすい時、これは一体教育的配慮に基づいたことなのか、または単なる腹立ちまぎれに過ぎないのかどちらの感情なのか混乱しやすいということです。特に自分の気持ちを抑えられずに捨て台詞をはき散らす最悪のケースも決して少なくありません。きっと教育的効果などあるはずもないでしょう。

 親が感情が高ぶるほど子供の抵抗は想定外になる

 大人である親は子供への言い分を感情もろともぶつけられて気持ちがすっとするかもしれませんが、一方的に口(?)撃される子供は気持ちの持っていきようがないのです。やはり子供も心の中は親の言葉を受け止めながら感情が高ぶっていることでしょう。しかし、よく考えてあげて下さい。子供だからこそ筋道立てて理屈で反論できないのです。なぜこんなに怒られるのかという自覚すらできていないかもしれません。結果として、釈然としない不満がたまって反抗的になったり想定外の行動をしたりするのです。

 怒る理由とその目的をきちんと説明することが子供を怒るマナー

 私もこのようなケースの経験は語るに余りあります。子供を怒る時、その理由や目的は何なのかはっきりと確認しながら子供に接して欲しいものです。回りくどく話すのではなく子供レベルになってきちんと筋道立てて説明してやれば理解することができると思います。怒り感情のままの説教は子供の気持ちの中に不満を残し何らの解決にもなりません。

 あくまでも、教育=教+育。ただし、そのやり方は一様ではない

 子育ても家庭内で日夜行われる立派な教育の一つです。ありふれた言い方でありながら、確かに教育=教+育であると信じて疑わないのですが、「教」の方はどちらかというと何か一方的にさせる的な意味合いを強く感じますが、「育」はサポートする、導く、手を添えるという感情的な行為であると考えていいのではないでしょうか。いずれにしても子育てという教育の仕方は、子供が自分で考えて行動することができるように導く力を養成することであり、子供が努力しながら力を得るということである。つまり、これらの要素はどちらも必要であるということです。

 子育ての究極の目的はやる気を掘り起こすこと

 しかしながら、ややもすると親や教師は子供生徒に対して上から目線で接し、いわゆる強制感の強い指示命令口調が飛び出します。これは、相手の心をとらえ、その根本に相手を深く愛する「情」というものが欠けている気がします。結果はどうであったとしても、重要なことは、その結果に至るまで子供がヤル気を持って自分で考え行動できるように育てたかということです。相手が大人子供を問わずやる気を出させることができれば、例えそれが困難そうであっても自主的に取り組みがんばるようになるのです。

 子育ての上手い下手は親子相互の認識の相違による

 教育というのは、やはり「教」と「育」のバランスとそのやり方次第であると思います。とは言っても確かに肝心なのはその具体的な方法です。口先だけでああやるんだこうやるんだと言うのは簡単ですが実際子供達に言い聞かせて納得させて行動させることは大変難しいことです。しかし、視点を変えて考えればそれは結局私たち教師や親が良かれと思って理想ラインに基づいて一方的に子供に望んでいることです。子供が自分から希望することではありません。これが勉強に関することなら、させられているという気持ちが強ければ本当に勉強しようとはしないでしょう。このことを理解し納得することが大切です。

 感動を与える小言は子供を発奮させる

 親の言い分を伝えながら子供の心を揺さぶるくらいの覚悟がなければ、ただの小言の連発です。子供は、ひしひしと心で感じていないから頭でわかっていても実行ができないしやろうと発奮できないのではないでしょぅか。理屈で勉強しなければと思うより、第三者的な立場から感動するようなことを与えられると自分からがんばる気持ちが沸々と沸いて来る感覚を忘れてはいけないと思います。子供に何かを感じさせ感動させ心を動かせる手段を絶えず模索する習慣を大人も身につけることが必要なのではないでしょぅか。

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