角田夏実33歳の本音「結婚と母になる夢」金メダル後の新たな決断

2024年、花の都パリで開催されたオリンピック。
その柔道会場で、私たちは一つの歴史的瞬間を目撃しました。

小柄な身体から繰り出される必殺の「巴投げ(ともえなげ)」。
相手が反応する間もなく宙を舞うその鮮やかな一本勝ちは、日本中を熱狂の渦に巻き込みました。

角田夏実選手。日本女子柔道界における「史上最年長金メダリスト」という偉業を成し遂げた彼女ですが、畳を降りたその素顔は、驚くほど等身大でチャーミングな女性であることをご存じでしょうか。

激闘から時が経ち、興奮の熱気が落ち着きを見せ始めた今だからこそ語れる、一人の女性としての「本音」。
33歳を迎えた彼女が見つめるのは、勝利の先にある「結婚」、そして「母になる」という新たな夢でした。

今回は、鉄人・角田夏実選手がふと見せた柔らかく温かい表情と、これからの人生への決意について、じっくりと紐解いていきたいと思います。

「泣き虫なっちゃん」が金メダリストになるまで

今でこそ、世界中の猛者たちが恐れる絶対女王として君臨する角田選手ですが、その柔道人生のスタートは、意外なほど「普通」で、そして少しだけ「弱気」なものでした。

柔道を始めたのは小学2年生のころ。
きっかけは、柔道経験者であるお父様に連れられ、地元の警察署にある柔道クラブへ足を踏み入れたことでした。
当時はいわゆる「マット運動」のような感覚で、遊びの延長として始まった習い事。しかし、ご両親にはある一つの願いがありました。

「少し気の弱いこの子に、強くなってほしい」

当時の角田少女は、試合に負けるとすぐに心が折れてしまう、繊細な心の持ち主でした。「もう無理!」「辞めたい!」と、ことあるごとにご両親に直談判していたというエピソードは、現在の凛とした姿からは想像もつかないかもしれません。

そんな彼女を支え、畳の上に留まらせたのは、お母様の魔法のような言葉でした。
弱音を吐いて落ち込む娘に対し、お母様は決して頭ごなしに叱ることはありませんでした。絶妙なタイミングとなだめ方で、下がってしまったモチベーションを優しくすくい上げ、再び前を向かせてくれたのです。

「母のあの声かけがなかったら、今の私はここにいないと思います」

そう語る角田選手の言葉からは、金メダルという栄光が、決して彼女一人の力ではなく、家族の深い愛情という土台の上に成り立っていることが伝わってきます。最強の柔道家を作ったのは、最強のサポーターであるお母様だったのかもしれません。

女性アスリートとしての孤独な戦いと身体の変化

思春期を迎えると、少女たちは大人の女性へと身体が変化していきます。
一般的な十代の女の子であれば、それは成長の証として喜ばしいことかもしれません。しかし、階級制のスポーツである柔道において、それは時に過酷な試練となります。

特に軽量級で戦う角田選手にとって、「体重」は常に頭から離れない重大なテーマでした。

「減量」と「生理」。
この二つのバランスを取ることは、想像を絶する難しさがあります。
運動量を極限まで増やし、食事を制限すれば体重は落ちます。しかし、それをやり過ぎれば身体は悲鳴を上げ、生理が止まってしまう。アスリートとして、そして将来一人の女性として母になる可能性を持つ身体として、そのギリギリのラインを見極める戦いが続きました。

中学生時代は、成長を阻害しないよう階級を上げて調整し、高校・大学へ進むにつれて、自分の身体のリズムを理解するよう努めたそうです。
生理後は体重が落ちやすく、むくみが取れやすい。そのタイミングを狙って減量計画を立てる。生理痛が酷いときは、身体を温める食事を摂り、イライラしても「今はそういう時期だから」と自分に言い聞かせる。

そうやって、彼女は自分の身体と対話し続けてきました。

今、スポーツに打ち込む思春期の女の子たちへ、角田選手はこうエールを送ります。

「身体が変化する時期、不安になるのは当然のこと。でも、『今はこういう時期なんだ』と自分の身体を理解してあげてほしい」

それは、痛みを知る彼女だからこそ言える、優しくも力強いアドバイスです。ただ勝つことだけを目指すのではなく、自分の身体を大切にしながら競技と向き合う姿勢。これこそが、彼女が長く第一線で活躍できた秘訣なのかもしれません。

オフの日は「ケーキ」でリフレッシュ!素顔の女子会

ストイックなアスリート生活を送る角田選手ですが、柔道衣を脱げば、スイーツが大好きな普通の女性に戻ります。

学生時代、試合のない週末は彼女にとっての貴重な安息日でした。
減量期間でなければ、友人と一緒にお気に入りのカフェへ行き、甘いケーキを頬張る。そんな何気ない時間が、厳しい練習に耐える心と体を癒やしてくれました。

「おいしいね」と言い合える友人の存在。
カロリー計算も勝敗のプレッシャーも忘れて、ただ笑い合うひととき。
こうしたオンとオフの切り替え、いわゆる「自分へのごほうび」を上手に取り入れることこそが、長く厳しい競技生活をサステナブルなものにする鍵だったのでしょう。

鉄のメンタルを持つと言われる彼女ですが、その心は決して鋼鉄だけでできているわけではありません。甘いものや楽しいおしゃべりで柔軟性を保ち続けてきたからこそ、あのしなやかな巴投げが生まれたのかもしれません。

パリの空の下で描いた「セカンドキャリア」

オリンピックでの金メダル。
アスリートとして最高の栄誉を手にした後、多くの選手が直面するのが「次の目標をどうするか」という大きな問いです。

「燃え尽き症候群」という言葉があるように、頂点に立った後の喪失感は計り知れません。しかし、角田選手はその問いに対して、非常に人間らしく、そして愛おしい答えを見つけ出しました。

「柔道を続けるかどうか悩みました。でもそれ以上に、女性としての人生をどう歩むかを真剣に考えたんです」

そこで彼女の心に芽生えたのは、「結婚したい」「子どもがほしい」という、シンプルかつ切実な願いでした。
33歳という年齢は、アスリートとしてはベテランの域ですが、一人の女性としては、ライフステージの変化を真剣に考える時期でもあります。

引退後のセカンドキャリア。
それは単に「柔道の指導者になる」といった職業的なことだけではありません。「家庭を築く」という人生のプロジェクトもまた、彼女にとっては重要なキャリアの一つなのです。

そんな彼女が目標としているのは、かつて日本柔道界を牽引した福見友子さんや、野獣の愛称で親しまれた松本薫さんといった先輩たち。
現役を引退した後、子育てをしながら指導者として現場に戻ってきたり、タレントや実業家として新しい世界を切り拓いたりする彼女たちの姿は、角田選手にとって「未来の可能性」そのものです。

「私も、あんな風になれるかな」

金メダリストとしての実績におごることなく、先輩たちの背中を追いかけ、新しい幸せの形を模索する姿には、等身大の30代女性のリアリティが溢れています。

支え合う仲間、そして理想の家族像

悩み多き時期、角田選手の心を軽くしてくれる友人がいます。
元スピードスケート選手の髙木菜那さんです。

競技は違えど、同じ時代をトップアスリートとして駆け抜け、同じ年齢を重ねてきた二人。髙木さんが現役を引退し、新しいステージで輝いている姿は、角田選手に大きな勇気を与えています。「柔道家・角田夏実」という肩書きを下ろした時、自分には何ができるのか。そんな不安を共有し、励まし合える友の存在は、何ものにも代えがたい財産です。

そして、角田選手が描く「理想の家庭像」のルーツは、やはり彼女が育った実家にありました。

とにかく仲が良いというご両親。
娘の海外遠征には「旅行の機会をくれてありがとう」と感謝して応援に駆けつけるポジティブさ。そして何より素敵なのが、お父様のエピソードです。

なんと、角田選手のお父様は料理が得意で、試合が終わると「ごほうび」として手作りのケーキを焼いてくれるのだそうです。
強面の柔道家の父が、娘のためにエプロンをつけてケーキを焼く。想像するだけで心が温かくなるような光景です。

「私も父に教えてもらって作ってみるんですが、一人だとなかなか上手く焼けなくて(笑)」

そう照れくさそうに笑う角田選手。
常に前向きで明るく、互いを思いやる両親の姿。それこそが、彼女が目指す「結婚」と「家庭」の完成形なのです。

未来への一本背負い

「いつか父のようにおいしいケーキが焼けるようになるといいんですが……」

インタビューの最後に見せた笑顔は、金メダリストの威厳というよりも、未来を夢見る一人のチャーミングな女性のものでした。

柔道家として世界の頂点を極めた角田夏実選手。
彼女の次なる戦いの場は、畳の上だけではありません。結婚、出産、そしてセカンドキャリアという、答えのない人生という名の道場です。

しかし、私たちは知っています。
泣き虫だった少女が、母の支えで強くなり、身体の変化に悩みながらも工夫を重ね、世界の頂点に立ったことを。
そんな彼女ならきっと、これからの人生においても、持ち前の粘り強さと、周囲への感謝を忘れない心で、素晴らしい「一本」を決めてくれるに違いありません。

角田選手の「母親になりたい」という新しい夢。
その夢が叶い、いつか彼女がお子さんのためにケーキを焼く日が来ることを、私たちファンも温かく見守り、応援していきたいと思います。

柔道着を脱いだ角田夏実の物語は、まだ始まったばかりなのです。