ポジティブの反対語って知ってても子育てには不要ですよ

~財布の中に千円札が一枚だけ、その時あなたは?~

    A:あっ、千円しかナイ!      B:あっ、千円だけアル! 

 概して、物事を「ナイ」と否定的に考えるタイプと、肯定的に「アル」と捉えるタイプがあります。

 例えば、あいにくの雨に、それぞれの事情のケースバイケースは、あっても、嫌だなあと目いっぱいぼやく人もあれば、しゃあないと納得する人もいます。
 

 親は、子供が少しも勉強しない、子供の出来が良くない、親の言うことを聞かない、部屋を少しも片づけない、朝はなかなか起きようとしない
 

 夜は遅くまで寝ようとしない、将来に希望が持てない、毎日毎日ないないな~いの連発。
 

 一方、子どもは親に対して、

気持ちを理解してくれない、欲しいものを買ってくれない、遊びに連れてってくれない、などなどこちらも同様。
 

 まるで家庭の中は親子のブツブツ交換です。これでは少なくともお互い発展的解消は困難です。
 

 基本的に異なる立場や役割であれば、考えや見方は違って当たり前です。「ナイナイ」づくしの消極性の乱発はお互い不必要な感情をまで呼び起こし平安をもたらすことはありません。


 単調だからこそ楽観的に

 「~が、~もアルアル」と考える習慣の人は、きっと感謝の気持ちが備蓄されているでしょう。従って、事の重大さによりますが、物事をできるだけ積極的かつ楽観的に受け取ります。
 

 これは、一日の営みというものが単調な繰り返しであるからこそ実に大切な心がけです。

(感謝1)子供はみんな元気でい

(感謝2)家族みんなが健康である。

(感謝3)家族は深い愛情で結ばれている。

(感謝4)みんなで助け合って生活できる。

(感謝5)子供は子供なりにがんばっている。

 あたりまえは「あたりまえ」ではない

 このように目の前の事実を肯定し感謝することは、おそらく絶えることのない喜びや満足、何よりも心の平安を導きます。
 

 「あたりまえ」=「ありがたい」という等式を親自ら認め、毎日の生活の中で率先して実践する環境の中で、子供自身も親の存在のありがたさや尊さ、わが家のすばらしさに感じ入りながら、健やかに成長するのではないでしょぅか。

 言葉は生き物、言い様が大切

 子供達の中には少しばかり気が弱い性格の生徒がいます。指導上、それを否定的に強調して、「君は本当に気が小さい」とストレートに指摘する場合と、逆に「君は慎重だね」と肯定的に言う場合では受け取る子供の気持ちは同じでしょうか。
 

 そんなことは言葉のごまかしでストレートに言う方が良いと決める前にぜひとも良く考えて下さい。大人ですら気が小さいと言われると多少なりとも傷つき勇気も萎えてしまうでしょう。
 

 反対に、慎重だねとプラス的に捉えられるとこれもまた多少なりとも勇気が沸いて来るものです。
 

 このように、同じことを指摘する際、焦点の当て方で表現が違えば、受ける側の印象は全く異なります。これが、「リフレームによる勇気づけ」だそうな。

 日常的に、どうしてそんなに気が小さいの? もっと勇気を出して思い切ってやってみなさいと言われると、言われる側は どうしてもマイナスイメージが先行しがちです。
 

 新たな勇気を見出すどころかくじけてしまうのです。そして、一層気が小さくなって引っ込み思案に振舞いがちです。

 子育てにおいて、言いようを工夫することは肝要です。じっくりと考えてから行動する慎重なタイプだね、と言われると何か安心感に包まれ不安が軽減される分だけもう少し思い切ってやろうかな、と発奮し以前より積極的に取り組む例は少なくありません。
 

 子供が自分自身に自信を与え、これで良いと納得しない限りいろいろな行動に対する動機付けや挑戦意欲などはなかなか身につきません。
 これこそ、積極的に挑戦できる子供になって欲しいという動機付けなのです。

 子供の「これから」よりも「いま」を認める

 子供のそれぞれの能力や性格を即効的に変えることではなくて、子供が今持ち合わせているものをどうやって上手にいかす ことができるのかを踏まえて大人は物を言うべきであると思います。

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