子供にとって、唯一無二のあったかくて安心できるストレスフリーな居場所、心の拠り所、それは家庭。
むしろ家庭はそうあるべきで親と子が協力し合って作り上げていくものであると思いますが・・・。
子供なりのそれぞれのベストがあっていい!
子供の「能力」の限界がどれくらいかを親が判断することは極めて難しく、およそ不可能であると言っても決して過言ではありません。どこら辺が限界か判断する直接的な基準があり得ないだけではなくて、わが子へのひいき目から、もっとできるはずやれるに違いないと期待を抱いてしまう部分もあるからです。
何を持って子供の能力の可能性を探るか?
それは、子どもが今現在、実際やっている取り組んでいることです。たとえ欲がない子供であってもそれなりに今現在は程度こそあれそのベストを尽くしていると考えて下さい。将来的な可能性の広がりはもっとできるはず、とできるだけ肯定的に捉えることが大切です。およそ否定した始まりからは否定的な結果しか生まれません。何事も、今あることを肯定し認めることから生まれます。
肯定され認められるから新たな原動力になる
常に、自分の行いを否定されたらそれに慣れてきてどんどん自分が小さくなります。肯定され認められることにより、自分の可能性を求めよう広げようという気持ちも起こってくるのです。今の自分の能力が認められないままそれ以上のものを要求されることは「新たな力」を発揮する助けになるどころか、逆に重圧となり力を発揮できなくなるという経験は誰にでもあるはずです。
もう少し、
欲を出してやってくれれば、と言うよりは、今持ち合わせている子供の能力を最大限に引き出してやるために何よりも大切なことであると思うのですが・・・。
真面目さは全て良しとは限らない
確かに自分の能力を認められればヤル気が増して一層頑張ろうという気持ちが生まれるものですが、その子のある性格が災いすることも現実にあります。大人も子供も基本的な性格として一番に真面目であることが言われがちですが、もちろん真面目さを否定するつもりはないのですが、実際クソ真面目なタイプの生徒が受験に失敗することも少なくない理由を考えたいと思います。つまり、真面目であれば事足りるということではないのです。真面目さは最低条件であるが、それが全てではない。
より高い目標を求めるのなら、また自分の能力を高く評価して欲しいのなら、真面目さだけではなく加えてある別な力が必要なのではないのか、もしそれが備わっていないのならいくら真面目であっても大きく飛躍はできないということです。真面目であれば成功する、幸せであるということは単純すぎると言わざるを得ません。
真面目さの中に欠けている要素
特に、子供にとって受験にはより明白なことになるでしょう。宿題は欠かさずやったし、毎日勉強したし、テストの成績も悪くなかった。だけど、合格できなかった。こんな子に、親はなんて答えてあげればよいのでしょうか。多くの親は労をねぎらいながらも的を得ないはずです。しかし、結果的に何かの力が欠けていたと思われます。親も子も素直に認めるまでそんなに時間はかからないと思います。
それでは実際問題としてどんな力が欠けていたのでしょうか。誰でも真面目に生きてればいいというわけではありません。真面目な人間こそがそうではない人間よりも幸福を得るべきだと思います。しかしながら、そのために自己流の頑固な真面目さを押し通そうとするなら、むしろ回り道をしなければならないようになるのです。このことは、受験生の場合なおさらです。とにかく時間が限られています。その時間の中で自分の能力を発揮しなければなりませんから悠長にかまえるわけにはいかないのです。
例えば、機転だったり、素早い頭の切り替え、違う角度からの考え方などです。クソ真面目なタイプには、このような柔軟性というものが欠けているような気がします。従って、本番において想定外の問題を目にするとすぐにでもネガティブな気持ちになりやすいのです。
家庭はできるだけ明るい雰囲気を
日頃の家庭での生活の中でも、子供の頭の中を堅苦しくしないようなコミュニケーションを心がけて欲しいと思います。受験生を持つ家庭はどうしても雰囲気が暗くなりがちです。親は自ら積極的に明るく振舞い笑いが絶えないようなムードづくりを試みて下さい。気分転換を進めたりすることも大いに結構です。
気持ちの余裕が真面目さをバックアップする
このような気持ちのゆとりがあってこそ、本来の真面目な性格が大きな力になるのではないでしょうか。取柄は真面目さだけとこだわり過ぎると足元をすくわれるようなことが起こったりします。真面目に勉強し真面目に遊ぶ。そして堅さと柔らかさを身につけることができるようになれば、どんな事態にも上手く対処しその苦難を乗り越えることができると思います。勉強しなさいの連呼は百害あって一利なしであるということをあらためて認識するべきです。