母親のうるさい小言はストレス増幅器。子供にノンストレスで効果的な言葉の伝え方とは

 思い出して下さい。誰でも多少の経験があると思いますが、母親の何かにつけてガミガミと細々とうるさい小言。

 懸命な子育ての「証」なんでしょうけど、やはり子供にはうるさいもんですよね。だからと言って、これは母親のかけがえのない愛情であることに変わりはありません。

 従って、うるさいって感じられる小言もその言いようが大切ですね。発する言葉のチョイス、表情など効果的なひと工夫があれば子供もストレスを感じることなく受け入れることができるのではないでしょうか。
 

~親子が共に育つための基本3条とは~

(1)明確な目標

   それを達成せんとする

(2)新たな強い意志

   そしてそのための

(3)ノウハウ


 1.上手くいかない?それが子育て!

 子供の健やかな成長を願う親。わが子に注ぐ溢れんばかりの愛情・努力・犠牲、実に尊いものです。本当に親の存在はありがたい。

 しかしながら、親が一生懸命であるほどまるで逆らうように
子供自身はやる気を失う時もある。なぜでしょうか?

 親として、一体どのように受け止め、対策を考え、実際問題としてどうすれば良いのでしょうか?

 2.母の愛は海より?、いやもっと深い!

 概して、多くの家庭において、母親の存在は父親より大きな影響を子供に与えます。

 出産に始まる子育ての過程で、父親よりも子供に接する機会や度合いが多く、特に幼少期は母親の存在が必要不可欠です。従って、

“母親のうるさい小言はストレス増幅器。子供にノンストレスで効果的な言葉の伝え方とは” の続きを読む

受験と生きる意味は相容れないもの。受験は手段であり生きることは目的。だから悩むんです。

 受験する意味と生きて行く意味は本来相容れないものです。受験はあくまでも一つの目標達成の手段であり生きることは目的であり、一筋縄ではいかないいろんな要素が絡まり合う目ものです。

 だから受験とは、生きる意味とどんな関係があるのか役に立つのかな~んて悩むんです。

 受験とは何か、その真意を徹底的に探って理解が深まるにつれて納得の上で受験勉強に励むことができるのではないでしょうか。

 知られざる「受験」の効果
「受験」には、一見無駄な要素に見えても、本当は大切なことがたくさんある。いくら学校の成績が良くても入試本番で落ちる子はたくさんいます。希望の学校に入れずに、いやいや第2志望の学校に進まざるを得ない子も多いです。

 どうしてこのような結果が生まれるのでしょう。試験の問題のせいにしたり、子供の気持ちの混乱、あるいは先生の教え方が悪い、と考える親もいるでしょう。

 しかし、それ以前に、本人に何かしらの問題がなかったのか振り返ってみるべきなのです。

 もう一つの確かな「力」

 毎日の受験勉強を野球の試合に例えると、テストは練習試合になるでしょう。そして、本番当日の入試は公式試合になります。

 いくら毎日の練習をきちんとこなしたからといって、必ず勝つという保証は与えられないことは言うまでもありません。

 どんなに本番を想定して緊張感を高め、試合のムードを頭の中に描いても、やっぱり本番は本番。まるで雰囲気は異なります。

 そんな時に頼りになるのは、その子が身に付けている本当の実力でしかありません。もちろん、その中には学力も含まれます。しかし、本番の異常なムードの中で普段の学力を発揮するためには、「もう一つの力」も必要です。

 そうした力は一体どこで養えばいいのでしょうか。

 日常は気づきの連続

 それは、日常の生活の場です。学校や家庭を含めた全ての場で、そうした力は養われなければなりません。

 学校では知識や試験のコツを与えてくれます。それを身につけ発揮する力までは授けてくれません。

 学校で目立たない子がいますが、それなのに試験にすんなり合格してしまう。そうした子は、成績が目立たないだけであって「生きる力」は秀でていると思われます。

ところが、

“受験と生きる意味は相容れないもの。受験は手段であり生きることは目的。だから悩むんです。” の続きを読む

不器用の治し方がわからないあなたへ器用な私がサポートします

 [宿題は、もう終わった、友達と遊ぶから。

 ついでに犬を一緒に連れて行くわ、散歩ついでに。」

 要領の良さと信頼は別物

 親が自分に何を言いたいのか、早々と察知し前もって処理してしまう。また、言われたことを漏れなくこなす。そんな要領がいい子供は意外と多いように感じられます。そして、こんなタイプの子供は成績もいい傾向が見られます。

 実際、私の友人の大人にも、料理をさせると腕前はプロ級、何かスポーツをすると運動神経が抜群、そしてカラオケでは美声を披露するみたいな器用な人がいます。

 何をさせてものろまな不器用にしか対応できない私なんかにとっては、まるでスターのようでこのような人間は別世界の生き物ではないのかと唖然とするだけです。

 しかし、冷静になって考えて見ると、ここという時これらの人種を信じ切って頼りにしていいのか不安になることも事実です。
 
 器用だからと言って、あの人に任せると安心できるという気持ちにはなりにくいことも事実です。なかなかそんな感情にはなれません。

 不器用でも強い印象を与えられる

 私たちは弱い生き物です。困った時、二進も三進も行かなくなった時、あるいは窮地に立たされた時などは信頼できる誰かに頼って何かいい助言を求めたりします。

 そんな時私たちは、自分のそれぞれの悩みの種類に応じて都合のいい友達や知り合いの顔を思い浮かべたりします。しかし、

“不器用の治し方がわからないあなたへ器用な私がサポートします” の続きを読む