「実力」・・・いわゆる上部だけの力ではなく、その人が持っている本当の力は、外部から誰かに与えられるものではなく、本人が自分自身の中に積み重ねていくものです。
親は脇役、子供の代役はできないことを認めること
これに関しては、親はわき役であり影の存在に徹するべきでしょう。主役は子供ですから親がいくら才能と実力を持っていても子供の代役を務めることはできません。このような親の役割についても気がつかない親も多くいます。子供の意向や考えを確かめることもなく勝手に進学校を決めたり、塾などに自ら特別扱いを要求したり全ては子供のためとばかりに、嫌がる子供を引っ張りたがる親。私はこのような親の態度を全て否定するつもりはありません。しかし、子供の内心には、自分の将来のことなのに自分の気持ちが反映されていないという釈然としないわだかまりが残ることがあります。どんなに物分かりがいい子供であってもどこかにか不本意な気分はしつこく残ると思われます。子供にハッパをかけて親の望む方向へ導くことは、それはわき役ではなく主役の子供の場所を奪っているのです。
子供をほっとかないで見守る姿勢が放任主義
一方で、子供のことは本人任せであると平然と言う放任主義者的な親がいるのも事実です。本当の放任主義は、親にとってとてもつらいものであり我慢を強いられるものです。親が手取り足取り手助けすれば早めに解決できる問題でも、放任された子供は一人で悪戦苦闘するだけです。わが子の努力を横目にじっと耐えて見守っている姿勢が本当の意味の放任主義なのです。放任主義は、