子育ての本質を知らなかったら人生の半分は無駄にしていた

 長い間、教育の現場に接していると、親から実にいろいろな相談を受けることが多々あります。親が親である限り子育てに関する悩みは尽きないものであると思い知らされます。

 子供の学力は親自身の学歴より子育ての工夫による

 昔、小学校高学年の男子の母親から、子供の成績が悪く一向に伸びないということについて相談がありました。懇談開始早々、親自身が学歴がなく頭が悪いので子供ばかりを一方的に責めることもできないという内容でした。今まで辛くふっ切れない思いで子育てをされてきたのであろうと推察しました。

 私の子育てについての基本的な考えの一つは、親の工夫次第で子供の実力は大きく伸びるということです。そして、現に、そんな生徒をたくさん指導してきました。つまり、親自身の頭の良し悪しや学歴などは一切関係がないことを強調したいと思います。学校時代、成績が悪かったからなどの理由で子育てに自信がもてない親も多いと思われますが、そのような子育ての悩みは全くご心配無用です。

 子育ては生きるための知恵の応用

 子を持つ親の年齢になれば、みんなが生きるための知恵を授かっています。この知恵というものは、学歴などに無関係で、親として自らを成長させながら得た一種の財産と言っていいと思います。大切なことは、その知恵を現実の子育てにどのように応用して行くのかということです。学歴がなくても恥ずかしいなどということはありません。世の中には、大学を出ても人に憎まれ嫌われる人間はたくさんいるのです。中には、罪を犯す人さえいます。学歴があることが完全ではありません。  “子育ての本質を知らなかったら人生の半分は無駄にしていた” の続きを読む

親子で明るく振る舞うことがストレスレスな最高のリラクゼーション

最近、テレビを見ながら一人で納得することがあります。それは、特にスポーツのヒーローインタビューの場面です。

成功した人たちに共通するのは笑顔

きっと苦しかっただろう辛かったに違いないと想像されるその結果において、見事栄冠を勝ち取った選手たちに共通するあの笑顔、本当に素晴らしく感動します。スポーツに限らずどんな世界でも成功を収めた人たちは笑顔がよく似合うと言っていいと思います。見ている人たちを気持ち良くさせる彼らの笑顔は何がそうさせるのか私の興味をそそります。

笑顔満開の人にこそ人は引かれる

一方で、見るからに陰気で暗そうな近寄りがたいタイプがいます。おそらくある程度の力量はあっても、誰からも信頼されるような立場に立つのは難しいと思われます。根暗な人間には人は寄ってこないものです。多くの人たちの心を引くのは何と言っても笑顔の絶えない人間です。やはり、いつもにこやかで心から明るい人間になれるよう努力をしなければならないのでしょう。  “親子で明るく振る舞うことがストレスレスな最高のリラクゼーション” の続きを読む

良い人生を送るために家風と子育ての関係をすすめる理由

さて、「家風」という我が国独自の「和」の伝統と厳かな雰囲気を感じるこの言葉、今時はもうデッドワードになったのでしょうか。

家風は子供たちの成長において心の糧である

家風とは、他家とは違うその家ならではのしきたりやものの考え方、価値観などのことですが、先祖代々に継承されてきた伝統の中で、自分の家の人たちは独自の価値観を共有し、生きる指針として活用し人生を豊かなものにしてきました。その家の子供たちはその独特の雰囲気の中でまるで空気を吸い込むように家風というものを心の糧にしながら大きくなったものです。

現代では、急激に核家族化が進む中、家風と呼ばれるものはどんどん姿を消していきつつあります。確かに、温故知新、古いものを大切にするべきであるという考え方を否定する気持はありませんが、執拗にこだわって新しいものを取り入れないという態度はいかがなものかと思います。

家風は何代にも渡って守り抜く揺るがない価値観

親の世代が、あるいはその前の祖父の世代が守り通してきた古きよきものがあるのなら、そこには時代を越えて脈々と流れる価値という揺るがないものがあるかもしれないと考えます。いつの時代にも大切なものとして,

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主役は子供、親はわき役って本当にそうでしょうか

「実力」・・・いわゆる上部だけの力ではなく、その人が持っている本当の力は、外部から誰かに与えられるものではなく、本人が自分自身の中に積み重ねていくものです。

親は脇役、子供の代役はできないことを認めること

これに関しては、親はわき役であり影の存在に徹するべきでしょう。主役は子供ですから親がいくら才能と実力を持っていても子供の代役を務めることはできません。このような親の役割についても気がつかない親も多くいます。子供の意向や考えを確かめることもなく勝手に進学校を決めたり、塾などに自ら特別扱いを要求したり全ては子供のためとばかりに、嫌がる子供を引っ張りたがる親。私はこのような親の態度を全て否定するつもりはありません。しかし、子供の内心には、自分の将来のことなのに自分の気持ちが反映されていないという釈然としないわだかまりが残ることがあります。どんなに物分かりがいい子供であってもどこかにか不本意な気分はしつこく残ると思われます。子供にハッパをかけて親の望む方向へ導くことは、それはわき役ではなく主役の子供の場所を奪っているのです。

子供をほっとかないで見守る姿勢が放任主義

一方で、子供のことは本人任せであると平然と言う放任主義者的な親がいるのも事実です。本当の放任主義は、親にとってとてもつらいものであり我慢を強いられるものです。親が手取り足取り手助けすれば早めに解決できる問題でも、放任された子供は一人で悪戦苦闘するだけです。わが子の努力を横目にじっと耐えて見守っている姿勢が本当の意味の放任主義なのです。放任主義は、

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本当は私、こんな謙虚さが大好きなんです!

さて、受験を控えた子供たちの心の深奥をはかり知ることはできませ。中には辛い受験勉強を隠そうとあえて学校や家庭で明るく振舞おうとする子もいます。こんな子には、なんとか自分を絶体絶命的な窮地に追い込まないようにしたいという態度が見受けられるものです。

「絶対」は強い意志を表すが、ストレスフルな言葉

長年の指導において、彼らの絶対合格するんだという強い決意に応えなければという責任感を認識しながら思うことがあります。絶対合格する、この絶対という言い方ほどストレスフルな重苦しいものはありません。絶対~、こんな言葉を耳にするたびに、もしそうできなかったらどうするのだろうととても気がかりになってしまいます。気持ちの中に余裕を感じないからです。

自信が過信につながると油断大敵になる

絶対~、を連発する親や子に限って失敗した後はとてもみじめです。親は近所に会わせる顔がないでしょうし、子は友達に会いたくないのではないでしょうか。いくら自分自信を励まそうとするためであったとしても、それが過信につながると達成することが困難になりやすいものです。さらに、

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