言いたいけど言えない性格を直したい、そして自信をつけるための大切なポイントはこれだ!

 「ああだこうだ」って言いたいけど言えない性格って、単におとなしいし気が弱いからと見た目の印象だけで判断したって改善できません。もっとメンタル的に突き詰めていくと自信がないんですよ。

 だから、何でもいんですけど、自分の好きなことや興味があること得意なことをもっと極めて程度はありますがとにかく自信をつけることが大切です。それはもちろん勉強に限ったことではありません。

 しかし、親にとって(というよりは、親のエゴそのものなんですが)、子供が机に向かって勉強に集中している姿ほど安心できるものはありません。中には、知らず知らずのうちに思わずニンマリ口元に笑みがこぼれたりする親もいるようです。

 孤独に耐える。それも実力のひとつ

 反抗期真っ只中の中学生や高校生。小学生は、まだ一人っきりで部屋にこもって勉強することはつらいようですが。

 しかし、このことも子供がどれだけの時間一人でいられるのかも子供の実力を測る一つの物差しになると言えるのではないでしょぅか。

 例えどんなにさみしがりであっても怖がりであっても勉強は一人でやるべきものなのです。確かに、仲間と手を取り合って教えあいながらやる勉強もあると思いますが、最後はやっぱり一人なのです。孤独の戦いなのです。

 頭の中身は他と共有することはできませんし、どんな人間でも何かを考える時は一人のはずです。大勢の人間が周りにいても人はそれぞれ一人ずつ自分なりに考えるしかないのです。

 振り絞った知恵を出し合い、みんなで共同で何かを進めることはできるでしょう。しかし、それ以前の考える作業は、一人一人の頭の中でしか行われないものではないでしょぅか。私は日頃からとにかく

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勉強と遊びを両立させるたったこれだけのシンプルな方法。そのうちに?今でしょ!

 勉強と~(部活とか習い事とか遊びなどいろいろ)の両立。この「両立」っていう難題、ほんとに昔から延々と続くすでに永遠のテーマ的な扱いになってしまってますよね。そして、それを解決するために毎回同じような議論が交わされ飽きてしまうほどです。そんなに長々とあーだこーだと言い合うことなんでしょうか。現に、ちゃんと両立できてる人も多いではないですか。彼らと両立できない悩める人達との違いって何でしょうか。

 熱中できる=リラックスできる

 どうすれば子供が勉強と勉強以外の熱中したいことを両立できるか、その方法の一つとして、例えば週末だけは勉強は休むということも考えられます。また、夏休み以降はひたすら勉強のみと約束させてもいいでしょぅ。

 しかし、勉強以外はダメという指示は禁句です。熱中できる何かがあるということは、子供にとっては精神的な拠り所を持つことであり、自分の気持ちをリラックスさせる方法をわかってるということなのです。

 それをすべて取り上げてしまっては子供の心は暗く閉ざされたものになってしまいます。

 自分のやりたいことがある子は、何とか勉強時間をやりくりして例え親の目を盗んででも目的に向かって突進しようとします。それも立派な子供レベルの努力なのです。

 遊びたいために子供なりに工夫し勉強の能率を上げようとするのです。そんな時、親は、遊んではいけないと注意するよりその努力ぶりを微笑ましく評価してやって下さい。

 勉強と遊びは相乗効果がある

 大人の世界でも、趣味を持たない人間は味気ないと言われます。人間的豊かさに欠けるということでしょう。熱中できる対象を持たないままの子は、どこか物足りなく弱々しく見えたりします。

 思いきり叫んだり泣いたり笑ったりする機会が少ないのですから、何に対しても無感動になってしまうのです。

 受験期の遊びは、決してマイナス材料ではありません。遊ぶことによって勉強に拍車がかかり、勉強することによって遊びにも集中できるのです。心配なのは、

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体力 気力 根気 ない

 親の錯覚が問題をつくる

 命令されたことはすぐ実行する。注意されるとすぐにそれを直す、自分の子供がこのような子供であればどんなに楽だろう、と考える親は多いものです。

 確かに、命令されてすぐ行動に移れるという能力は優れたものとして評価しなければなりません。しかし、それを、言うことをよく聞くいい子供、と親が錯覚してしまうと、これは厄介な問題に発展しがちです。

 なぜならそこには、表面的な約束だけを守ればよし的な考えが生まれる恐れがあるためです。

 一見、特に目立った問題がない理想的な親子関係に見えても、そこには何かしらの問題が必ずあるはずなのです。子供は親の押さえつける権力に従ってそうしているだけのことであって、内心辛い思いをしている場合だってあります。

 それが毎日の生活の中で積み重なるとどうでしょうか。子供の不満はある日何かしらのきっかけで一気に爆発し、理想的に見えた親子の関係はもろくもくずれてしまいます。

 親は、何も起こらないから安心、自分の思いどおりに育ってくれてるから大丈夫、などと考えてはいけません。子供も一個の人格を持った人間なのです。例え表面的には表れていなくても、心の中には

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辛い時の気持ちの上手な切り替え方を生きる力のメントレメニューにプラス

 誰だって辛い時、苦しい時、落ち込む時ってありますよね。これも人間生きてればこそなんですけどね。こんな辛い時の上手な気持ちの切り替え方を知ってれば・・・。

 だって、いつまでもうじうじと意気消沈のままでいいはずがありません。気持ちを持ち直して(これがまたエネルギーがいるんですけど)奮起しなければなりません。

 もちろんこんなメンタルは大人に限ったことではなく子供にも当てはまることです。落ち込んでる子供に対してどのような対応がのぞまれるのでしょうか。

子供の観察の仕方

子供を観察する一つの例として、わが子は気持ちの切り換えが素早くできるかどうかをその判断の目安にしてみて下さい。嫌なことがあってもすぐ忘れられるかどうか?新たな目標を見つけられるかどうか?これは子供自身もあらゆる場面において必要な能力です。

「ケンカ」の中に学びがある

例えば、子供同士のケンカが一番身近な例です。ケンカして負けたことを正直にはっきりと話すことは、ともすれば自分の評価に不利な材料であることを話すことです。これは、当の子供にとってはきっと辛いことでしょう。もちろん親に叱られることも覚悟しなければなりません。それでも隠すことなく、嘘をつかなかったことをまずほめてやるべきです。そして、悔しさを口に出す、つまり自分の正直な気持ちを隠さないで出す姿勢もとても立派です。これができるからこそ、翌日になるとケロッと前日の嫌なケンカのことも忘れられ相手のことも冷静に分析できるようになるのです。

むしろ困るのは、一体何があったのかを話そうともせず、親が聞いても口ごもるばかりあるいはいつまでも未練たらしくケンカに負けたことを恨みに思うタイプです。ある程度の執念深さは仕方がないことですが、こうした暗さはこれからの人生においても受験の場でもマイナス以外の何物でもありません。

気持の切り替えは生きる力を強くする

イヤなことを忘れられるということは、もっと楽しいことを考えられるあるいは発見できる能力があるということです。子供を叱る時は、そのことに注意しましょう。たくましい精神力を発見できることもあると思います。イヤなことがあっても

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テストの 点数がやばい時は新しい自分づくりへのビッグチャンス

 その時々の学力の度合いを測る(これが正しく理解するべき本来の目的なんですが)本音は実に嫌~な「テスト」。

 しかしですよ、テストの 点数がやばい時こそ新しい自分づくりへの願ってもないビッグチャンスなんだって知ってますか。

 実は、憎い相手でありながらも、テストって常にちゃんと2つの情報を示唆しているんですよね。

 テストに学ぶ2つの情報

 1つは、自分の弱い部分、つまり、補強するべき部分です。基礎の確立からさらに類題の演習を経て応用へ発展へ、というあと一歩の部分の有無が「点」として大きな差を生む主因になります。

 弱点をほったらかすことは、基礎力の弱化(従って、積み重ねられない)を招き、近い将来必ず総合力のダウンにつながります。

 もう一つは、テスト後のあるべき姿勢です。示された自分の弱い部分を重点的に補強することが結果的に直接の実力となります。

 徹底的な見直しと十分な反省を踏み台として「点」として現れるまであと一歩の努力を、ということです。

 「やり方はわかってたんやけど、計算間違いをしてしまって」。テストの後に、生徒たちがよくいうことです。

 特に、数学などは、公式の理解よりもまず計算力が必要です。とりあえず計算ミスをなくす細心の注意力を身につけることが先決です。

  各教科も「生き物」

 国語や英語という教科は、その努力がすぐに成績結果に現れるものではありません。しかし、授業で扱う一題一題の問題の中から確実に何か(その問題独自のポイント)を身に着けていけば「見えざる力」として確実な結果となって表れてきます。一方、

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