良い人生を送るために家風と子育ての関係をすすめる理由

さて、「家風」という我が国独自の「和」の伝統と厳かな雰囲気を感じるこの言葉、今時はもうデッドワードになったのでしょうか。

家風は子供たちの成長において心の糧である

家風とは、他家とは違うその家ならではのしきたりやものの考え方、価値観などのことですが、先祖代々に継承されてきた伝統の中で、自分の家の人たちは独自の価値観を共有し、生きる指針として活用し人生を豊かなものにしてきました。その家の子供たちはその独特の雰囲気の中でまるで空気を吸い込むように家風というものを心の糧にしながら大きくなったものです。

現代では、急激に核家族化が進む中、家風と呼ばれるものはどんどん姿を消していきつつあります。確かに、温故知新、古いものを大切にするべきであるという考え方を否定する気持はありませんが、執拗にこだわって新しいものを取り入れないという態度はいかがなものかと思います。

家風は何代にも渡って守り抜く揺るがない価値観

親の世代が、あるいはその前の祖父の世代が守り通してきた古きよきものがあるのなら、そこには時代を越えて脈々と流れる価値という揺るがないものがあるかもしれないと考えます。いつの時代にも大切なものとして,

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主役は子供、親はわき役って本当にそうでしょうか

「実力」・・・いわゆる上部だけの力ではなく、その人が持っている本当の力は、外部から誰かに与えられるものではなく、本人が自分自身の中に積み重ねていくものです。

親は脇役、子供の代役はできないことを認めること

これに関しては、親はわき役であり影の存在に徹するべきでしょう。主役は子供ですから親がいくら才能と実力を持っていても子供の代役を務めることはできません。このような親の役割についても気がつかない親も多くいます。子供の意向や考えを確かめることもなく勝手に進学校を決めたり、塾などに自ら特別扱いを要求したり全ては子供のためとばかりに、嫌がる子供を引っ張りたがる親。私はこのような親の態度を全て否定するつもりはありません。しかし、子供の内心には、自分の将来のことなのに自分の気持ちが反映されていないという釈然としないわだかまりが残ることがあります。どんなに物分かりがいい子供であってもどこかにか不本意な気分はしつこく残ると思われます。子供にハッパをかけて親の望む方向へ導くことは、それはわき役ではなく主役の子供の場所を奪っているのです。

子供をほっとかないで見守る姿勢が放任主義

一方で、子供のことは本人任せであると平然と言う放任主義者的な親がいるのも事実です。本当の放任主義は、親にとってとてもつらいものであり我慢を強いられるものです。親が手取り足取り手助けすれば早めに解決できる問題でも、放任された子供は一人で悪戦苦闘するだけです。わが子の努力を横目にじっと耐えて見守っている姿勢が本当の意味の放任主義なのです。放任主義は、

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本当は私、こんな謙虚さが大好きなんです!

さて、受験を控えた子供たちの心の深奥をはかり知ることはできませ。中には辛い受験勉強を隠そうとあえて学校や家庭で明るく振舞おうとする子もいます。こんな子には、なんとか自分を絶体絶命的な窮地に追い込まないようにしたいという態度が見受けられるものです。

「絶対」は強い意志を表すが、ストレスフルな言葉

長年の指導において、彼らの絶対合格するんだという強い決意に応えなければという責任感を認識しながら思うことがあります。絶対合格する、この絶対という言い方ほどストレスフルな重苦しいものはありません。絶対~、こんな言葉を耳にするたびに、もしそうできなかったらどうするのだろうととても気がかりになってしまいます。気持ちの中に余裕を感じないからです。

自信が過信につながると油断大敵になる

絶対~、を連発する親や子に限って失敗した後はとてもみじめです。親は近所に会わせる顔がないでしょうし、子は友達に会いたくないのではないでしょうか。いくら自分自信を励まそうとするためであったとしても、それが過信につながると達成することが困難になりやすいものです。さらに、

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緊張感は多少ある方が上手く行きやすくなるとっておきのおすすめ

 物事を行う時の緊張感って多少ある方が集中力や作業などにメリハリがあって効率よく進められることがあります。

 リラックスのしっぱなしでは注意不足になりやすいので、やはり少しの緊張感は持ち続ける方がいいと思います。

「実力はある方だから成績は悪くないのに、いざ本番となると妙に緊張しすぎて周囲が気になり十分な力が出せない。」

 特に、こんな子の親は、例え試験の結果が悪くてもそれは本人の力以外に何か他の原因があったから本来持っている力を発揮できなかったんだとわが子をかばいたくなる習性があるものです。


 失敗の原因をあれこれと第三者に押し付けない

 親が子を思い、子供の力を何とか信じようという気持ちはよくわかりますが、それまでの子供の過程を省みることなく、条件が悪かったからとか運がついてなかったからと失敗の原因を他の何かに押し付ける考え方は、本来親が子を思う正しい態度なんでしょうか。

  これは大人たちが、失敗の原因を吟味することなくその場を取り繕うように簡単に済まそうとしがちだからです。

 もっといい塾へ行ってたら、もっと早くから勉強を始めてたら良かった、とか。しかし、

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なぜ好奇心が人生の分岐点になるのか、その秘密を探ってみました

仕事柄、毎日のように子供達といろいろな想定外のやり取りがよく起こります。以前、こんなことがありました。

長所と短所はいつもアンバランス、長所が勝ればいい

クラスが少人数のこともあって、先生がゆっくりと丁寧に教えていた時のことです。先生がおもむろに子供たちの目の前に車の模型を差し出し、その車について彼らがすでに知っている情報を確認することが目的という授業内容でした。ところが小さいころから車が大好きで車に関する知識が大人に勝るほど旺盛な一人の男の子がその模型に見とれてしまって、先生の説明を全く耳を貸そうとしません。それはきっと既に熟知している内容だったのでしょう。当然、彼の注意力散漫を先生は注意したのですが、私はむしろそれほど問題視しませんでした。

なぜなら、彼が持っている長所と欠点が同時に如実に表れているからです。知識欲が旺盛で好奇心が強く集中しやすいことが長所であり、先生から注意された注意力が欠けていることが欠点でもあります。しかし、これらの長所短所を比べると長所の方が若干勝るような気がします。言い換えれば、

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