がんばることが恥ずかしい人は気持ちがおおらかでゆとりがあるタイプ

 子供が「自我」に目覚め、がんばることを恥ずかしいなんて良くも悪くも自分なりの考えや価値観を持ち始めるころ、特に中学生時代は親に貸す耳など持たず何かと荒々しく振る舞うこと頻繁しきり。 

  「子育て」から「子付き合い」へ

 親も子育てから「子付き合い」に移行するべきを、相変わらず「子育て」にひたり、挙句は「こ・づ・き・あ・い」を演じる羽目に陥ることも多々あります。   

 極端ですが、結果的に本人が困ることはそのまま本人の思うように任せ、失敗を体験させることも一案です。本人が自ら気付くまでは、親としてもそれなりの忍耐が必要です。

 親も子供の将来を思いやるからこそいろんな不安が高じるはずです。

  基本に戻る=自信の回復

 しかし、勉強面に関しては親の理想通りにはいきません。一つの理由は、勉強の遅れを取り戻したくても、中学校からの勉強は、基礎でつまづくと取り戻すのがなかなか困難だからということがあげられます。                

 その解決策のひとつとしては、一気に今までの復習を強要するのではなく、今できることを子供に見つけさせてやらせることが先決です。そして、自信をつけさせることです。

 小さなことからコツコツと。やはり、自信を回復することから始めるべきでしょぅ。

  勉強することのモチベーションづくり

 確かに、子供の気持ちの中には、今さら親の言う通りにはなりたくないという反発があります。一度親との関係がこじれると、必ず湧き出てくる厄介者です。

 普通、親は子供が親が言うことを聞けばいくらでも可愛がるのに、と親なればこその愛情を抱きますが、いつまでも感傷的に考えるだけでは関係は改善されるものではありません。                                

 子供の頑張りのできるだけ良いところをピックアップして評価してあげる配慮が必要です。今さら何を、

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やればできるのにやらない人必見!子供に学ぶメンタル改善と強化の仕方

 暇に任せて思い出してみて下さい。「君はやればできるんだからがんばろう」、とか「やればできるのにやらないからだよ」って言われたこと一度くらいはあるのではないでしょうか。確かにそんなに何回も言ってもらえることではないのですが。

 しかし、「やればできるのに」という表現の真意(これは相手の受け取り方によって違いますが)は必ずしも一つではないことは明白です。そして、言われる人と言ってもらえない人がいるのも事実です。この違いは、やはり子育てのプロセスの中にあるようですね。

 子供が道端でつまずいてこけました、その時あなたは?

 親のとる態度はいろいろです。

(1)子供のそばまで駆け寄りすぐに抱き起こす   

または

(2)ちゃんと足元を見ないとだめじゃないの、と叱りつける親。

そして、

(3)こんな所に石ころなど置いて一体だれが、と他のせいにする

親もいることでしょう。

(4)子供が何とか一人で立ち上がるまでじっと見守る親も。

 どれもこれもよく見られる光景であり親が子供に示す愛情に変わりはないものと思われます。しかし、

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喜怒哀楽が少ない原因はヤル気と集中力の弱さとマンネリにあった

  最近の若者について、喜怒哀楽が少なくその原因は物事に対するヤル気や根気、集中力の弱さ、さらに妥協しやすいマンネリ傾向があるという見方があります。

 しかし、本来は「若さの勢い」というものは恐ろしいものがあります。たとえ、一日ムチャして徹夜しても、「何とかなるさ」でとスルーしてしまいます。それほど気にしません。次の日に、倍返しで取り返すエネルギーを持っています。

 我々大人はこうはいきません。「明日が大変だから明日のために余力を残さないと」とついつい弱気になり遊びたいのを我慢することが多いです。

 それでは最近、なぜ自分の感情表現をを上手くコントロールしながら伝えることが少なくなってきたのでしょうか。

 要領の良さは集中力にある

 受験生なのに、けっこうそれなりに自由な時間を楽しみ、しかも肝心な成績はそれなりに上がっているという子がいます。

 彼らは遊ぶ時間を生み出すために、いろんな工夫をしているのでしょう。スケジュールを変えてみたり重要度に応じて時間の配分を研究したりとその子なりの努力をしているのだと思います。

 あくまで主体は勉強であって遊びは脇役なのですからこうした子供の態度に親がいちいち目くじらを立てる必要は毛頭ありません。

 上手なズルはゲーム感覚で

 しかしながら、逆の場合は困りものです。遊びが主体となり、その時間の合間に勉強をする、こうしたズルさは、自分をごまかししかも親の目もごまかそうという姿勢でしかありません。

 一見ずるさは同じように見えるかもしれませんが、内容では天と地ほどの違いがあるといっていいでしょう。上手にズルができる子は、

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理想と現実の違いはどんな時に起こるのか、子育てバージョンで考えてみたら

 「それって理想だよ、現実は全然違うよ」、時には上から目線でまたある時は親身になって指摘された経験がある人は私だけではないはずです。

 この理想と現実の違いは一体どんな時に起こるのでしょうか。特に、子育てにおいてはそれが結果として顕著に表れるようですが・・・。

 1.よく忘れ物をする生徒、めったにしない生徒

 頻繁に忘れ物をする生徒から見れば、忘れ物なんかしない、な~んて信じられないでしょうし、忘れ物をしない子供にとっては、なぜ忘れ物をするのかわからないのではないでしょぅか。

 2.他力本願は厄介者

 忘れやすいことは、持って生まれた先天的な性格によるものではありません。よく忘れ物をする子供って、自分自身で気をつけないからです。

 言い換えると、忘れ物をしないように忠告をしてくれる頼りになる人がいるから自身の注意力が不足するのです。

 3.忘れ物予防装置

 「体操服は持った?教科書は?ハンカチは?ティッシュは?」、と常々言ってくれる「忘れ物予防装置」的な存在がそこにあるからです。これではいつまでも自ら注意しようとするはずがありません。

 自分の周りに気を使ってくれる人がいることを子供が認めてしまうと、何を持っていくかを自分で覚えるつもりなどあるはずがありません。だから、お母さんが忘れ物を注意することを忘れるようなことがあれば、子どもはさらにすっかり忘れてしまうのです。

 子供が忘れ物をしたというより、お母さんが注意をするのを忘れたようなまるで本末転倒に陥ってしまいます。

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家庭の中で子供とうまくいかない原因は親の意外な〇〇〇にあった

  子供にとって、唯一無二のあったかくて安心できるストレスフリーな居場所、心の拠り所、それは家庭。

 むしろ家庭はそうあるべきで親と子が協力し合って作り上げていくものであると思いますが・・・。
 

 子供なりのそれぞれのベストがあっていい!

子供の「能力」の限界がどれくらいかを親が判断することは極めて難しく、およそ不可能であると言っても決して過言ではありません。どこら辺が限界か判断する直接的な基準があり得ないだけではなくて、わが子へのひいき目から、もっとできるはずやれるに違いないと期待を抱いてしまう部分もあるからです。

 何を持って子供の能力の可能性を探るか?

それは、子どもが今現在、実際やっている取り組んでいることです。たとえ欲がない子供であってもそれなりに今現在は程度こそあれそのベストを尽くしていると考えて下さい。将来的な可能性の広がりはもっとできるはず、とできるだけ肯定的に捉えることが大切です。およそ否定した始まりからは否定的な結果しか生まれません。何事も、今あることを肯定し認めることから生まれます。

 肯定され認められるから新たな原動力になる

常に、自分の行いを否定されたらそれに慣れてきてどんどん自分が小さくなります。肯定され認められることにより、自分の可能性を求めよう広げようという気持ちも起こってくるのです。今の自分の能力が認められないままそれ以上のものを要求されることは「新たな力」を発揮する助けになるどころか、逆に重圧となり力を発揮できなくなるという経験は誰にでもあるはずです。

もう少し、

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