その時々の学力の度合いを測る(これが正しく理解するべき本来の目的なんですが)本音は実に嫌~な「テスト」。
しかしですよ、テストの 点数がやばい時こそ新しい自分づくりへの願ってもないビッグチャンスなんだって知ってますか。
実は、憎い相手でありながらも、テストって常にちゃんと2つの情報を示唆しているんですよね。
テストに学ぶ2つの情報
1つは、自分の弱い部分、つまり、補強するべき部分です。基礎の確立からさらに類題の演習を経て応用へ発展へ、というあと一歩の部分の有無が「点」として大きな差を生む主因になります。
弱点をほったらかすことは、基礎力の弱化(従って、積み重ねられない)を招き、近い将来必ず総合力のダウンにつながります。
もう一つは、テスト後のあるべき姿勢です。示された自分の弱い部分を重点的に補強することが結果的に直接の実力となります。
徹底的な見直しと十分な反省を踏み台として「点」として現れるまであと一歩の努力を、ということです。
「やり方はわかってたんやけど、計算間違いをしてしまって」。テストの後に、生徒たちがよくいうことです。
特に、数学などは、公式の理解よりもまず計算力が必要です。とりあえず計算ミスをなくす細心の注意力を身につけることが先決です。
各教科も「生き物」
国語や英語という教科は、その努力がすぐに成績結果に現れるものではありません。しかし、授業で扱う一題一題の問題の中から確実に何か(その問題独自のポイント)を身に着けていけば「見えざる力」として確実な結果となって表れてきます。一方、
理科・社会は、英語・数学・国語と異なり速効性がありその努力の程度によって早い時期に力はつきます。具体的な「目標」を確認しながらその達成を目指して勉強して欲しいと思います。
近い将来を見据えた学習姿勢
勉強の成果は、本気で始めてからおよそ3か月後に出ると言われます。本気の勉強とは、目先のことだけにとらわれず日々受験を意識し、それを実際の目標とした勉強をすることです。
そして、これを始めているいないは、意外と授業中の「目つき」に現れることが多いようです。本気の「目」は、鋭くそして爽快感があります。
教える側にも「やる気」を起こさせます。早めに、このような目標を見据える「目」を持って欲しいものです。
子供への効果的な声かけ
例えば、お子さんが80点のテストを持ち帰った時、何と言ってあげますか?答案のケアレスミスを見つけてよく言われることは、「どうしてこんなしょうもないミスをするの、問題をよく読めばできるじゃないの、アカンなあ」。
答案の良い箇所は褒めないで、良くないと親が思う箇所やまだ達成できていないところばかりを指摘することが多いのでは。
確かに、親として気が付くことを何気なく言っただけかも知れませんが、子供にとればここがダメと欠点を指摘されたわけで、言い換えれば、それはこの欠点を直さなければ少なくとも親が考える子供ではない、と言われていることと同じなのです。
完璧な人間などいない
完璧な人間などどこにもいないはずです。どんなに立派な人間でも必ず欠点はあります。それを良かれと思って可能な限りゼロにしようという考え方が子供の勇気をくじいてしまうのです。ましては、大人から見れば、能力的に子供が欠点が多くあることは至極当然です。
程度や大小の差こそあれ、人生に様々な課題が付きまとう限り、人間の欲望や満足感というものはきりがありません。
一つの課題を達成したらまた次の課題がある。それを達成すればまた新たな課題が発生します。これらの全てを達成することは不可能です。
にも拘わらず、これはダメあれはダメ、と矢継ぎ早に発すれば発するほど子供は自信を失い勇気を失くしてしまうのです。
だからこそ、数少ない効果的なノウハウの一つとして、「見方を変える」ことをお勧めします。
現在の子供のありのままの姿を観察しできるだけ良い方向から見てあげることです。80点のテストを前にして、達成できてない残りの20点分はダメの一言は慎み、次への方法を示唆することが大切です。
誰だって、従来持ち合わせていないものを突然持てと言われると、それだけで実に大変に思いがちです。
持っているもので良いとなれば、これで良いのかこれならできそうと次への課題へ挑戦する意欲が湧いてくる、これこそ「勇気づけ」です。
失敗は失敗と認め、否定的なことばかりを取り上げないで、肯定的な対象を常に見つけてあげることも肝要であると考えます。